きみを失うための掌



最初から夢なんて見ちゃいない。どうせ叶わないって分かってた。優秀な爆豪くんと平々凡々な私。万が一神様の悪戯が起こったとしても、釣り合うだなんて思えやしない。たとえば皆が皆振り向くような美人であったなら、多少は頑張っていたかもしれない。でも現実はそんなに甘くないし、不相応も良いところ。

だから唯一無二の憧れとして眺めてきた。私が踏み込める一番近しい距離で、学生の頃から、ずっと。


「結婚するんだって?」
「……どっから聞いた」
「切島くん。こないだ現場で会ってね」
「チッ、あのクソ髪……プライバシーもクソねえな」


大きく裂けた頬の傷へ、そっと触れる。きっと痛むのだろう。一瞬顔を顰めた爆豪くんは耐えるように目を伏せた。出来るだけ擦らないよう気を付けながら、意識を集中させる。もう慣れた行為。個性を使って人を治す。端整な顔に醜い傷痕が残ってしまわぬよう、内側からゆっくり綺麗に、じんわり優しく、誰より一際丁寧に。


「私には知られたくなかった?」
「……別に」
「ごめんね。これが終わる頃には忘れるから大丈夫だよ」


痛む胸ごと、まだ捨てきれない想いごと、全部ちゃんと忘れるよ。ちょっと時間が掛かっても大丈夫。絶対表に出しやしない。心の奥底に押し込めて、きちんと蓋が出来るくらいには大人になった。だから安心して。


「いつするの?」
「……まだ正式には決まってねえ」
「そっか。噂のモデルさん?」
「ああ」
「可愛いよね。雑誌でしか知らないけど、美人さんだし気品があって」


私とは大違い。そんな自嘲は、すんでのところで呑み込んだ。危ない危ない。こんなのただの僻みでしかない。もっと今の爆豪くんに相応しい言葉を探さなくちゃ。だってもう、こんな風に話せるのはたぶん最後。

正式に決まっていないとはいえ、切島くんには伝えた結婚話を私に言わなかったのは彼なりの理由があるからだろう。言いたくなかったのか、言えなかったのか。はかりかねる真意を聞き出そうだなんて野暮なことはしない。だって聞き出したところで、どうしようもない。爆豪くんは皆のヒーローで、私だけのヒーローじゃない。そんなの、そうだったら良いのになって願うことすら烏滸がましい。私にとって爆豪くんは鮮烈な光だけれど、爆豪くんにとっての私は単なる治癒個性持ちの救護ヒーロー。大勢いる中の、それこそ見分けも付かない内のひとりでしかない。それで良い。こんな時に笑って送り出せない私なんかより、女性誌の表紙を立派に飾る強くて綺麗な彼女の方が何億倍も相応しい。


掌の下、消えゆく裂傷がただ悲しい。


「おい、みょうじ、」
「大丈夫。釘刺さなくたって誰にも言わないし、忘れるし」


きっと触れることさえ、これで最後。結婚の話を知っている私も、後数センチでいなくなる。その前に一言だけ――ううん、二言だけ聞いて欲しい。ただの自己満足だけれど、これでもう、忘れられる気がするから。


「おめでとう、爆豪くん。お幸せにね」


さようなら。伝えることさえ憚られた、私の最愛。

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