弾けたメロウ



なんとなく傍にいた。言葉はさほど多くなく、けれど寄り添う温度や空気感、声――そんな形をもたないそれぞれが不思議と心地良く、自然に私を落ち着かせた。

彼はどうだか知らない。やはり言葉はひどく少なく、心内を表面化させることもない。時折翳る赤い瞳の底さえ窺えず、横柄な態度と暴言は自らを守る鎧のようでいて、その実本心のような実直さを醸すなんとも面倒な男。ただ私の傍では、借りてきた猫のように大人しかった。だからって情やら恋やらに構っていられるほど、雄英生は暇じゃない。ただなんとなく傍にいた。それだけで良かった。

決して枷にならないよう卒業と共に互いの道を進み、息がし辛い雁字搦めの社会で生きて。そうして漸く、彼の隣に勝る安寧はないと知った。




「寝ないの?」


真っ白なシーツへ横たわる。なめらかでいてひんやり冷たい温度。暖房の効いた室内はバスローブでも寒くなく、むしろ湯上がりには丁度いい。

鍛え抜かれた上体を惜しげもなく晒したままの勝己は一瞥を寄越し、缶ビールの残りを煽った。同窓会からの帰り際、飲み直しにとコンビニで買ったそれは既に二缶空いている。私のハイボールもそう。同じく二缶並んでいて、もう一缶は袋の中。勝己に合わせて同じ数だけ買ってみたけれど、あいにくそれほど強くはない。アルコールはもう充分。それより今は、隣に欲しい温もりがある。


「もしかして緊張、」
「してねえ」
「だよね」


さっきとは違った食い気味の即答にくすくす笑う。そうだね。緊張とは違うかもしれない。

泊まり自体は珍しくない。学生の頃は良く傍らで眠ったものだ。セメントス先生にお願いした極秘の合鍵が懐かしい。いつだって互いが互いの生活圏内で当然に存在していた。今更泊まるくらいわけのないこと。ただ随分と久しぶりで、ここがパパラッチに捕まれば即一面大スクープのファッションホテルで、走れば間に合う終電をほんの出来心で逃しただけ。私はお酒を言い訳に。彼は、そんな私を放っておけずに。



勝己、と呼ぶ。
寝ないのって、やわいシーツをトントン。

こぼされたのは小さな吐息。次いで腰履きのスウェットから覗く迷彩柄が、ソファから浮いた。まるで空気を押し出すよう。ダブルベッドに片膝から乗り上がり、伸ばされた無骨な手が片頬を撫でていく。こめかみを伝い、髪をよけたそれは鼓膜のすぐ傍。顔の真横をグッと沈めた。

逆光の中、真上で細まったルビーに瞠目する。一瞬たりとも逸らされない、底の知れない静かな真赤。ふんわり漂うシトラスマリンが嗅ぎ慣れない。触れる前に止まった唇が、片側で笑う。


「ちったァ構えろや。こちとらてめえなんざ簡単に抱けんだぞ」


どこか自嘲を孕む声は、縋るようにも責めるようにも聞こえ「俺だからか」と紡ぎ出された私の名前は、いっそ希うようにさえ響いた。


「俺だけか、なまえ」
「……」


肯定すれば満足なのか。珍しく振れ幅がある声色とは正反対の、依然として静謐を湛える眼差しへ囚われながら思考する。

勝己だから拒まない。勝己だけに許す距離。どちらも今更、わざわざ確かめることではないような気がする。けれど酔っぱらいの戯言だと受け流してしまうには、あまりに勿体ない好機だった。何をはからずとも知れた仲。この形容しがたい関係性を未来永劫手に出来るなら、きっと昨日に還るより、何事もなく眠って朝を迎えるよりずっといい。


自由な両手を引き締まった背中へ滑らせる。未だしっとり湿った肌は温かく、指に吸い付くようで気持ちがいい。


「ねえ。もっとこっち」
「てめえ、俺の話聞いてたか」
「聞いてたよ。今夜はお喋りだね。久々だから?」
「……」
「ほら、勝己」


引き寄せようにもびくともしない、昔より随分厚みが増した体を呼ぶ。応えるように肘をつき直し、必然近付いた勝己の薄い唇は先に奪った。下唇を僅かに齧り、開いた隙間へぬるりと舌をさし入れる。どんな甘言よりも遥かに早く熱が移って、ほら、分かるでしょう。

私たちに言葉はいらない。

back - index