長すぎた春
随分と長い付き合いだ。
相澤さんは一つ上の先輩だけれど、同じ高校を出て、同じ事務所で働いて。気付けば傍にいることが当たり前になっていた。彼が教師になると言って事務所を辞めてからも、定期的にご飯へ行ったり、家に来てくれたり。
ストレスばかりがついてまわる社会で、気を遣わなくていい間柄というものは、心が休まるのだろうと思う。合理主義な彼が、私と居ることを良しとしてくれるのは、なんともむず痒い。
好きです、と真剣に伝えたのは高校二年の時。卒業式が終わってから第二ボタンをもらったのは、いい思い出だ。今でも大事にしまっている。
その時の返事は何だったか。あまり覚えていない。ただ印象に残っているのは、表情の薄いあの相澤さんが、照れたように視線を泳がせたこと。
二回目の告白は、確か居酒屋の帰りだった。
二人で飲んでいたわけではなく、大勢集まっていたような気がする。ヒーロー組の同窓会だったかもしれない。
飲みすぎて頭がふわふわしていたせいか、当時の記憶は、ところどころ欠けていた。相澤さんが、私を背中におぶって家まで送り届けてくれたこと以外は、定かではない。だから、やっぱり返事も思い出せない。
もしかすると、ろくな返事をもらったことなんてないのかもしれない、と過去を振り返りながら思う。
ああ、とか、そうか、とか。きっと、そんな程度の反応だった。だからこんなにも、深く覚えていないのだろう。
自信や自尊心に満ちている人ではないから、私がいつでも離れていけるように、相澤さんなりの気遣いかもしれない。思えば、身を寄せ合って眠ったことはあっても、手を繋いだりキスを交わしたことは、一度だってなかった。
何も言わないけれど、嫌でなければ拒みはしない。いつもどこかに逃げ道を用意してくれていて、滅多に怒ることもない。そのぶっきらぼうで静かで、ひどく穏やかな思いやりが、昔から心地よかった。
とはいえ、私も彼も、そろそろいい歳になる。私にとっては、二十代最後の一年。一番楽しいと言われる時期によそ見もせず、ただただ相澤さん一筋に生きてきただなんて、我ながらちょっと笑える。
彼もたぶん、そうだろう。浮ついた話は聞いたことがない。私に対して迷っているのなら、そろそろ、ちゃんとした返事をくれてもいい頃合いだと思うのだけれど。
ゆるく、細く、そうして長く、息を吐き出す。
お風呂に入っている彼を待つのは、意外と退屈だ。買ってきたレシピ本も、もう読み終えてしまった。どうしようかなあ。ぼんやりコーヒーを飲みながら時間を潰す。
思えば思うほど、考えれば考えるほど、変な関係だ。付き合っているのかそうでないのか、どうも判断がつきにくい。
「なまえ」
「……お帰りなさい」
「ただいま。栓抜いてよかったか?」
「うん、大丈夫」
髪を雑に拭きながら寄ってきた相澤さんは、軽い相槌とともに隣へ座った。同じシャンプーとボディーソープの香りに、つい心が揺らぐ。
ポットを引き寄せてコーヒーをいれてあげれば、丁度いい濃さだと褒められた。
「何年一緒にいると思ってるの」
「……もう結構経つな」
「ほんと、びっくりだよね」
「もうすぐお前も三十路か」
「ちょっとやめてよ」
痛い現実は、あんまり見ないままでいたい。
柔らかな背凭れに身体を預ける。体重分だけ沈みこんだソファーは、ぽかぽかと私を温めていった。
月日が経つのは、本当に早い。大人になってからは、季節を感じる行事が少なくなったからだろうか。坂道を転がるような目まぐるしさで、あっという間に夜が来て、朝が始まる。
そんな日々の中で相澤さんと過ごせる時間は、あとどれくらいか。何も怖くないように見えて、その実、要らない、と言われる日が来ないとも限らない現状に、心の隅で怯えている。
「お前には、もっと良い奴がいると思うんだがな……」
やっぱりどこまでも相澤さん一筋な私のことを、まるで見透かしたかのようなセリフに、心臓が跳ねた。彼の真意をはかることなんて、当然出来やしなくて、浮かぶのは戸惑いばかり。
決して人相がいいとは言えない瞳が、こちらへ向けられる。視線が重なった瞬間、意外にも相澤さんは小さく笑った。嬉しそうでいて、どこか呆れたような、なんとも表しがたい眼差しに、息が詰まる。
「三十になったら、結婚するか」
「……え……」
「あー…、前々から考えてはいたんだ。その内俺よりいい男を見つけるだろうと思って濁していたが、見つける気すらなさそうに見えてな」
「そんなの、当たり前じゃん……。昔も今も私が好きなのはずっと、」
「俺だろ。知ってるよ。何回も聞いた」
落ち着けと言わんばかりに、くしゃくしゃと髪をかき撫ぜられる。
少し照れているのだろうか。今日の相澤さんは、珍しくよく喋る。まるで夢を見ているような感覚に、頭が上手くついていかない。それでも、明確な返事を控えていたのは、私に対して迷っていたからではないらしいということくらい、すぐに理解出来た。
そういえば、いつだったか『俺は出来た人間じゃない』と言っていたような気がする。その時は何もわからず、ただ聞き流しただけだったけれど、今は少し違った捉え方が出来る。だからこそ、口にして伝えなければいけないと思った。
「私、今とっても幸せだよ」
自分じゃ幸せに出来ないだなんて、どうか思わないで欲しい。
あなたとの関係に、とても素敵で甘やかな響きをもたらす名前がつくのなら、今までの曖昧な時間も言葉もすべて意味のあるものだったと、心の底からそう思えるくらい、私の想い人は、いつだって相澤消太一人だったよ。