宇宙の一番明るいところ



乾杯、とグラスをあてる。控えめな音が店内に響き、舌の上を占めるのは柚子特有の甘味とまろやかな酸味。さすがは農家が選んだ果実酒。美味しくって言葉が出ない。

「気に入ったみたいやな」

テーブルを挟んだ向かい側。あの頃と変わらないような、ずいぶん大人になったような信介が、麦焼酎を傾けた。



本日『おにぎり宮』は夕方閉店。客足が引いたところで暖簾が仕舞われ、一口サイズのおにぎりや彩り豊かなお惣菜が並ぶと共に始まったディナータイムはなんと貸し切り。全く粋なことをしてくれる。いつの間に準備をしていたのか、ホールを手伝っている時でさえ全然気付かなかった。「俺からのプレゼントや思てゆっくりしてってくださいよ」と、片手を挙げながら出掛けて行った店主こと治の成長っぷりには目を見張るばかりだ。

大人んなったなあ。
治も私も、信介も。


「よう笑うようになったね」
「治か?」
「ちゃうよ。信介の方。なんか柔らかなった気ぃする」
「なまえは別嬪さんになったな」
「そらどうも。そういう冗談も前は言わんかったやん?」
「ははっ」


白い歯を覗かせて朗らかに笑った信介は、昼間よりも上機嫌に見えた。お酒はもちろん、多くを望まない彼にとって、自慢の後輩の店で文句無しの手料理をご馳走になっている今が一等幸せだからかもしれない。

ほんのり幼さを灯す笑い方に、自然と頬が緩む。

話すのは久しぶりだった。たぶん、侑の活躍をテレビで観ようと皆で集まった時以来。少なくとも二ヶ月は経過している。それでも緊張と無縁でいられるあたり、高校三年間を共に過ごしただけのことはあるらしい。気心の知れたクラスメイトであり、部の主将とマネージャー。決してそれ以上でも以下でもなかったけれど、彼の傍は心地が良かった。部活でもミーティングでも大会でも、いつだって穏やかな“普段通り”がそこにあって、無条件に安心する場所だった。


塩キャベツを咀嚼しつつ、空になったグラスへお酒を注ぐ。ほろ酔いになってもお礼を忘れない信介に、何度目かの「どういたしまして」。素材の良さを存分に活かした味わい深いおにぎりが、一つ二つと口の中へ消えていく。「このお米、信介が作ってんやんね。美味しい」と微笑みかければ「せやろ」って、大きな瞳がゆるやかに細まった。

農業は大変だけれど性に合っていること。目をかけた分、ちゃんと育ってくれること。おばあちゃんや私たちの『美味しい』を聞く度、幸せな心地になること。汗を流した後のお風呂やお酒が格別なこと。だからこそ今が楽しく、ずっと続けていきたいと思うこと。そんなあれこれを話してくれるのは、やっぱり少々酔いが回ってきたからか。


「なまえは仕事どうなん?」
「んー、ぼちぼちやね。まあ嫌な人はおらんし適度に頑張っとうよ」
「そうか。ほんなら良かった」
「心配してくれとったん?」
「ちょっとな。結構人に気ぃ遣うし我慢強いタイプやろ」
「そう……なんかなあ」
「俺にはそう見えとったで。昔っから」
「ほんま?」
「ほんま」


ほんまかあって、くすくす笑う。マイナス面に気付かれていることより何より、当時からそれだけ良く見ていて、今も変わらず気にかけてくれていることがなんともくすぐったかった。

私もだいぶ酔ってきてんかなあ。頭はふわふわ、体はぽかぽか。指の先まであったかい。


「有難うね。なんかあったら頼らしてもらうわ」
「ん。いつでも言うてきぃや」


ちょっと弱音吐こうもんなら正論パンチくらいそうやけど、なんて冗談めかした言葉はお酒と共に流し込む。今ここに水をさすようなものは要らない。透明な優しさと素直さ。それだけで良い。

目が合って、微笑む。


「……ほんま別嬪になったな。なまえ」


鼓動を包む柔らかな眼差し。小さな呟きの真意は、せめて素面の時。良くも悪くもアルコールが邪魔をしないその時まで、大事に取っておくことにしよう。

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