だって心を奪われたから




後はやっておくから、と皆を部室へ送り出す。バレーボールの空気圧をいくつか調整し、倉庫と裏口、それからニ階を含めた窓の施錠を見て回る。最後に照明をパチリと落とし、外の灯りを頼りに出れば、帰ったはずのトサカシルエットが立っていた。

「お疲れサン」

手元のスマホから顔を上げた鉄朗に「お疲れさま」。体育館をガチャンと閉める。


「孤爪待ち?」
「いんや? なまえ待ち」


に、と覗いた白い歯へ微笑みながら傍に寄る。待っててくれた嬉しさで、つい小走りになってしまったからだろう。目敏く気付いた彼が笑った。バレーボールを器用に扱う大きな片手が伸びてきて、落ちる影。頭上へ乗った僅かな重みがあったかい。


「今日もよく頑張りました」
「それ好きだね」
「おまえもな」


よしよしと撫でる手付きは、まるで犬や猫を可愛がるよう。けれどしっかり伝わる好意に、心がふわふわ浮き立った。好かれてるなあって安心しつつ、自分で散らした私の髪をちゃんと整えてくれた手を掴む。二回りくらいかな。私よりもやっぱり大きく節張っていて、薄い皮膚越しの骨が太い。どちらからともなく絡めた指に握られて、熱が移る。視線を上げれば目が合った。それがなんだか可笑しくて、同時に笑って踏み出した。




空はすっかり真っ暗で、校舎を照らす蛍光灯の青さが眩しい。でもこの静かな時間も殺風景な廊下も好きだった。がやがやした喧噪や冷やかす声もなんにもなくて、人目を気にせずくっつけるから。まあ鉄朗は外野を気にするようなタイプじゃなし、二人っきりの時しかイチャつけないってことは当然ないんだけれど、恥ずかしいって私の意思を尊重して控えてくれている。本当の理由は内緒。だってそれこそ恥ずかしい。独占欲なんて、あまりに幼い。それでも鉄朗が私だけに見せる一挙手一投足は、私だけが知っていたかった。私だけが知っていればよかった。


職員室を前にして、自然と離れた手が恋しい。部活終わりにレギュラーメンバーの誘いを断り、弟みたいな孤爪を押し付けわざわざ待っている鉄朗も相当だけれど、私も随分重症らしい。

名残惜しさをしまいこみ「失礼します」と扉を開ける。所定の位置へ鍵を返し「失礼しました」と廊下へ戻る。遥か頭上。また鉄朗と目が合って、でも今度はちゃんと「帰ろっか」って微笑みかけた。ほんのひと時冷えた手を再び繋いであたため合う。こんな幸せが一生続けばいいのになあ。


「なあなまえ、鍵閉めさ。そろそろ二年とか一年に任せていいんじゃねえかって俺は思ってんだけど、マネージャー的にはまだな感じ?」
「んー……まだじゃないけど、一緒に帰れなくなっちゃうなって」
「お。帰りてーの? 俺と?」
「……そのニヤニヤ顔やだ」
「えー? お前の鉄朗クンですよ?」
「知ってる。好き。でもやだ」
「嫌かー」


のんびりとした笑い声が夜風と遊ぶ。照れくさそうなその表情も声色も、ほんのり熱くなったような手のひらも――全部が全部、私のもの。

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