小 春 凪




熱が出た。38.5℃。体温計見て、あー、ってなった。仕方ねえ。37℃ちょっとくらいならまあ昼には下がってんだろくらいの気持ちで部活に行っていたところ、今回ばかりは体もだるいしさすがに休んだ。研磨と夜久にメールを送ってベッドに潜る。熱出すなんていつぶりだ。普通にしんどい。小学生時代の記憶をぼんやり辿っているうち、意識はゆっくり落ちていった。





目が覚めたのは一度深く眠り終えた後だった。丁度浅瀬に浮上して、ふわふわ微睡んでいる途中。なんとなく部屋の扉が開いた気がして上げた視界は、けれど真っ暗闇でなんならちょっと息苦しい。いつも通り顔を枕で挟んでいた手をどければ「あ、ごめん」と、静かな声が降ってきた。耳馴染みのいい聞き慣れたそれは、半年前から付き合っている彼女のもの。あーなまえか、じゃあいいか、と落ち着きかけて異変に気付く。ここ、俺の部屋だよな?

寝起きのせいか、全く回らない頭を回転させる。簡易テーブルを組み立てたなまえは「起こすつもりなかったんだけど」と立ち上がり「研磨に聞いたよ。体調どう?」と脇にしゃがんだ。なるほど。研磨な。感謝すべきかどうか分かんねえけど、とりあえず心配してくれたものとして捉えておこう。そんでなまえは、俺が家にひとりだろうからってわざわざ来てくれたわけね。そりゃどーも。


「鉄朗?」
「や、いける、全然。ちょっと寝たし」
「今私に強がる必要ある?」
「……いえ」
「だよね」


ため息混じりに伸びてきたのは、白く細い女の手。少々きつい物言いは健在だけれど、俺の首へ触れた手つきはやわらかい。ひんやりとしたなまえの温度が気持ちよくって、肩から力が抜けていく。ゆるゆる髪を撫でられて、自然と瞼が重たくなった。


「まだ熱いじゃん」
「ん、わり……」


おかしいな。お前こんなキャラだっけ。もっとこう、つんけんしてて、痴漢に遭ったら腕捻りあげてしょっぴくような、強くて凛々しい子のはずだ。たまに凹むこともあるけれど、基本的にポーカーフェイスを保っている。ただどうしてか、いつからか、俺の前では花びらみたいにはらはら泣いて、一応縋ってきてくれていた。普段あんなに『私ひとりで生きれます』みたいな顔してよ。それがひどく可愛く見えて、愛しくて。気付いたらもう、目が離れなくなっていた。

儚さや危うさなんて不安要素は伴わない。なまえ特有の強さと弱さのバランスは、いつだって安定的な枠の中でおさまりながら不意に覗く。だからこそ、こんなに心が奪われる。だからこそ、感情的なコントラストが色濃く映えて、惹きつけられる。もっと知りたい。もっと見たい。おまえの全部どこまであんの、それ俺だけに教えて欲しいんですけどねって、意外と真面目に噓なく思う。俺の『好き』は、案外たぶん、結構重い。





数瞬離れた指先が、こめかみから耳後ろへと伝ってく。まるで猫を撫でるよう。こんなに優しく触れるだなんて初めて知った。いつもは俺が、片手で掴める彼女の頭を勝手に撫でる側だったから。

「なまえ」と、凛然たる視線を呼ぶ。俺の熱でぬるくなった彼女の皮膚が、優越感をさらさら揺する。


「お前、そういうとこ反則だよな」


熱に浮かされ、ふわふわ揺蕩う意識の淵。きょとんとしたあと吹き出すなまえが、自然体で心地いい。

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