想いが綻ぶその先へ



週に一回だけ、一緒にお昼ご飯を食べる。いつからこの関係が始まったかなんて、もうはっきりと覚えていない。きっかけはたぶん些細なことだった。消しゴムを借りたお礼にお昼をとか、そんなこと。もう一年も前の話になる。やっぱり、あんまり覚えていない。でも、彼と話す度にじんわり熱を帯びるこの心は、ずっと温かいまま冷めることを知らなかった。

あちこちでたくさん耳にする恋がどんなものを指しているかは分からないけれど、もしかしたらこれがそうなのかなって、最近思う。



第二美術室の鍵を開ける。


「ごめんね。バレー部ほど綺麗じゃないけど」
「全然。俺こそごめん。思ったより散らかってて」
「いいよいいよ。そんな日もあるよね」


鍵を閉めながら「男の子だもんね」と笑えば、赤葦も「大体木兎さんのせいなんだけどね」と笑った。窓を開けて、うっそり漂う絵具の匂いを逃がす。


いつも男子バレー部の部室をお借りしているのだけれど、今日は赤葦的に見せられた状態ではなかったようで、私の部活動場所であるここに来た。綺麗じゃないとは言っても、部員以外が使用することはない。

さっとテーブルを拭いて、窓際の日当たりがいい席へ腰を落ち着ける。向かい側に座った赤葦は「初めて入った」と、物珍しげにしていた。普段とは違った年相応な姿が、なんだか新鮮で可愛い。


「放課後はここに?」
「うん。バイトがない日はね」
「みょうじが描いた絵もあるの?」
「あるよ。キャンバスは、そこの扉の向こうに置いてる」


黒板横の扉を指で示す。画材やキャンバスなんかが詰め込まれている物置は、この壁の後ろ側。

なんだかじいっと見つめられているような感覚に顔を戻せば、案の定目が合った。まるで見たいとでも言いたげな眼差しに苦笑する。先手を打って「ダメ」と言えば「何で」と返ってきた不満気な声。基本的に落ち着いている彼が、浮かんだ感情そのままを表に出すなんて珍しい。


気を許した相手にはこうなんだろうか。だとしたら今、私は彼にとって、他よりちょっとだけ特別なんだろうか。

皮膚の内側から、ふつふつ湧き立つ熱。全身を覆っていくこの温もりを、恋情と呼ばずして何と呼ぶのか。赤葦もこうだったらいいのに。私と週に一度を続けている理由が、恋だったらいいのに。なんて夢想しながら、お弁当の包みをほどく。


「恥ずかしいから」
「そう。入賞した絵もダメ?」


純粋な驚きに、手が止まった。何で知ってるんだろう。確かにこの間入賞したけれど、あのコンクールはそんなに有名じゃなかった。学園全体でお祝いしてくれることももちろんなくて、部外で話題になったこともない。美術の先生と部長にちょっと褒められただけ。

顔を上げれば、お昼そっちのけで私を見ている瞳とまたかち合う。頬杖をついて、小さく微笑んだ薄い唇が「遅くなったけど」と続ける。


「おめでとう。最優秀賞」
「あり、がと……誰から聞いたの?」
「聞いてないよ。知ってた」
「え、何で? 絵画とか好きだったっけ」
「いや、絵のことは分からないけど……気になるだろ」


一呼吸置いた穏やかな音に、耳を疑った。


「好きな人のことは」


舞い込んできた冷たい風も日の光も気にならないくらい、全神経がさらわれる。

お箸を持っていなくてよかった。持っていたらきっと、床に落としてしまっていた。そんな見当違いのことを考えて、止まりかけの脳と鼓動をゆっくり整える。いろんな可能性が巡って、一つ一つ潰していく。


「私、駆け引きとか出来るタイプじゃなくて」
「うん。知ってる」
「冗談も、結構本気にしちゃう感じで」
「それも知ってる」
「だから、その、……えっと」
「……ふっ」


だんだん言いたいことが纏まらなくなってきて、パニック寸前な様が可笑しかったのか。小さく吹き出した赤葦は謝罪をこぼし、それから、机の上ですっかり固まってしまっている私の手に手を重ねた。

控えめに指をなぞられ、心拍数が跳ね上がる。「保険かけるような言い方してごめん。正直かなりびびってた」って苦笑混じりな声に、彼も緊張していることを知る。そりゃそうか。そうだよね。言われるよりも、言い出す方がよっぽどこわいよね。


「みょうじが好きだよ」


いつもよりうんと男の子な眼差しに、どきり。

開いた喉から絞り出した声は「私も」なんてずいぶん拙い返事になってしまったけれど、それで充分だったらしい。「知ってる」と微笑んだ赤葦は、触れている手の甲をひと撫でして、そうしてお弁当を広げはじめた。

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