偶然、聞こえてしまった。上鳴くんと瀬呂くん、それから切島くんの楽しそうな声。俗に言う恋バナもしくはボーイズトークってやつだと思う。「カッチャンは女の子好きになったことねえもんなー」と煽られ「あるわナメんな!」ってあがった荒い声。それだけならまだ良かった。それだけならまだ、ああいつもの天の邪鬼か、で済んだ。のに。


「またまたぁ〜」
「案外幼稚園の先生とかだったりして」
「うっせえな。フツーに同い歳だわぶっ殺すぞ」
「え、マジ? もしかして今付き合ってたりしちゃう?」
「けど前に彼女いねえって言ってたぜ」
「お前ら普段どんな会話してんの」
「ってことは……絶賛片思い中?」
「……」
「……」
「チッ。……だったら何だ」


コンマ数秒遅れて響いた三人分の叫声。勝己の怒号。鉛が落ちてきたような衝撃。目の前が真っ暗になって、いやまあ私が隣に並べるだなんてそもそも思ってないし、なんて自分を宥めながら部屋へ戻る。


頭に浮かぶのは、容姿端麗才色兼備な女の理想像。可愛い系か綺麗系か。どちらにしても華があるだろう、勝己が好きになるような知らない誰か。私じゃない。そりゃそうだ。大した顔でもなければ、頭だって下から数えた方が早い。気の利いたことも言えない。勝己に相応しくない。好きになってなんてもらえない。言える自信もない。踏み出す勇気もない。

分かりきっていたことなのに、こんなに胸が痛むのはどうしてか。

クラスで唯一"勝己"と呼ぶことを強要され、"なまえ"と呼ばれ。死ねだのカスだのは付随していたけれど、それでも声を荒げることなく言葉を交わしてくれて、夏休みは家に呼んでくれて、時折ぶっきらぼうに優しくて。思い上がっていたのだろうか。自分は特別だと。何者かになれると、勘違いしていたのだろうか。


扉を背にずるずる座り込む。力が入らない。最初から実ることはないと知っていたけれど、結構辛くて悲しい。悔しい。彼に好かれている誰かが羨ましくて、目の奥が熱い。


「……おい、居んのか」


どれくらいそうしていただろう。ノックの振動が伝わり、扉越しの「居んだろなまえ。開けろ」って声へ殆ど反射的に腰を上げる。ドアノブに手を掛け、ハッとする。

「ちょっと待って」

そう断って、慌てて鏡の前に座った。よほど酷い顔になっていたらと焦ったけれど、うん。大丈夫そう。目は赤くないし腫れてもいない。ただ一筋残る涙の跡をウェットティッシュで拭ってから、再度立ち上がってドアノブを掴む。目が合うなり顔を顰めた勝己は何も言わずに入ってきて、後ろ手に扉を閉めた。

私を見つめる赤色を見上げたまま。ただ鎮座する痛みを押し留め「どうしたの?」と尋ねる。勝己の指が、眦に触れる。


「さっき、下で聞いてやがったな」


どくん。心臓が嫌な脈の打ち方をした。確信的な言い草。誤魔化したいのに喉が詰まって、目を逸らす。敏い彼にとって、それが肯定を意味するものでしかなかったと気付いても後の祭り。かろうじて動く唇で、震えた謝罪をこぼす。返ってきたのは溜息。


「アホなてめえが、」
「っだ、大丈夫…!」


ズキン、


「あ?」
「誰にも言わないしっ、応援、するから」
「……」


ズキン、ズキン、



「だから全然、」
「ンなら!」
「っ」
「俺のモンになる、で良いんだな」


ツキン―……。


「え?」
「ったく、クソ鈍感も大概にしろやクソてめえ。好きでもねえ女誰が構うかよ」
「………えっと」
「だから、俺が好きなのはてめえだっつってんだよ。気付けやバーカ」

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