「おい。買いモン行く時は言えっつっただろ」
「で、でも、お醤油とミリンだけだし、かっちゃん忙しいかなって」
「忙しかねえわ。勝手に決めんなカス」
「すみません……」


あれ、何で怒られてるんだ私。歩いて五分もかからないスーパーにお醤油とミリンを買いに行っただけなんだけど、謝らなきゃいけないことしてないよね私。

つり上がっている目から顔を逸らしつつ、突き出された手におずおずスーパーの袋を渡す。舌打ちをしたかっちゃんは「座ってろ」と、顎でソファーをしゃくった。まだ晩ご飯の準備途中だけれど、どうやら引き継いでくれるらしい。取り敢えず逆らわない方がいいと警鐘を鳴らしている本能に従って大人しく座れば、心配するまでもなくリズミカルな包丁の音が聞こえてきた。表に出ないとは言え、仕事終わりで疲れているだろうのになんだか申し訳ない。


ふかふかの背凭れに沈み、落胆の息を吐く。


本当はかっちゃんが帰ってくるまでに作り終えている筈だった。勤めていた広告代理店を寿退社し、今は養ってもらっている身。いくらかっちゃんが共働きを拒否したからとはいえ、家で過ごす時間が格段に増えた分、完璧な奥さんでいたかった。旦那さんが帰ってきた時、食卓に美味しそうなご飯が並んでいてお風呂も湧いている状態がベスト中のベスト。なのに、まさかお醤油を切らしてただなんて大誤算だ。しかもこんな日に限ってかっちゃんの帰りが早い。


「なまえ、飯出来たぞ」
「有難う……大変お手数をお掛けしました」
「別に掛けられてねーわ。そっちで食うんか?」
「あ、テーブル行く」
「んなら来い」


ソファーから腰を上げて食卓に着く。手を合わせて頂きます。口へ放り込んだお料理は、相変わらずどれも美味しかった。油が控えめに作られているのは、たぶん私のため。胸の内側でじんわりふくれる嬉しさに勇気をもらい、向かい側で黙々と箸を進めているかっちゃんを見遣る。


「ねえ、まだ怒ってる?」
「怒ってねえ」
「怒ってんじゃん……」
「怒ってねえっつっとんだろ」
「顔が怒ってる」
「元来この顔だクソが」


そうかなあ。もぐもぐ頬を動かしながらこちらを凝視した顰めっ面と視線を交わす。学生時代がぼんやり重なって、でもやっぱりちょっと不機嫌なような気がしないでもない。そもそも何で怒ったんだろう。確かに買い物に一人で行くなって言われていたけれど、何で行っちゃいけないんだろう。あの時は言われるがままに頷いただけで理由を聞いていない。

ごめんね、これから気を付けます。そんな前置きをして、納得したかっちゃんが食べる作業に戻ったところで恐る恐る尋ねてみる。一応身構えてはいたけれど、返ってきたのは怒声ではなく「分かってなかったんか」って呆れ声だった。


「ごめんなさい」
「ったく……ちったぁ自覚持てや。てめえ一人の体じゃねえんだぞ」
「……あ」


言われて初めて気付く。何だそういうことかって理解した途端、ぶわっとせり上がった恥ずかしさ。思い返せば、かっちゃんが心配ともとれるようなあれこれを言い出したのは妊娠が判明してからだった。

じっとりした視線がなんとも居た堪れない。さして間を置くことなくこぼされたのは、隠す気なんてさらさらなさそうな呆れを含んだ溜息。


「俺がこんだけ気ぃ張ってるっつーのに……忘れてやがったなコラ」
「わ、忘れてはないけどっ、まだ全然お腹出てないし、しんどくもないし……」
「そんでも、腹ん中入ってることには変わりねえだろうが」


最早ぐうの音も出なくて、心の中でもそもそ反論を唱える。本当に忘れていた訳じゃなくて、まさかあのかっちゃんが、まだ全然普段通りな私をそこまで気に掛けてくれているだなんて思わなかったんだよって。俺のこと何だと思ってんだとか言われそうだから、絶対口にはしないけど。

たぶん赤いだろう顔で押し黙っている私をどう捉えたのか。再度溜息を吐いて「何かあったら直ぐ俺に言え。良いな」と念を押すかっちゃんは、世界で一番かっこよかった。

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