体育館使用の手配、外泊届け、セキュリティーカードの発行、有給消化等々。専門部署による手続きが必要な時だけ窓口にやって来て、事務的な言葉を交わす。たまに差し入れだと缶コーヒーをくれる。敬語は要らないと言ってくれる。

彼はヒーロー科の教師で、私はしがない総務の新人。それだけ。たったそれだけの関係性だった筈なのに、いつからか彼は、何でもない業務でさえ私を指名するようになった。最早今では全事務員公認。彼の姿が見えると

「みょうじさん、相澤先生来たよ」

そう。こんな風に、誰かがお知らせしてくれる。


「今行きます」


手を止め、多機能ボールペンを胸ポケットへ滑り込ませる。衝立で仕切られているカウンターに向えば、既に相澤さんは座っていた。彼ももう、誰かが私を呼ぶことは分かっているようだった。


「お疲れ様」
「はいお疲れ。カードの発行を頼みたいんだが」
「また割ったの?」
「すまん」
「いいけど、強度見直しの申請書もついでに書いてもらっていい?」
「ああ」


カウンターに申請書を二枚並べ、ペンを添える。慣れた手付きで出されたセキュリティーカードは珍しく袋に入っていて、いつも以上にバキバキだった。最早端っこが欠けているとか、そういうレベルではない。プロヒーローともなると、やはり危険が付きものなのか。

彼がこうして破損したカードを持ってくるのは、大体プロとしての仕事が入った翌日だ。教師と兼任だなんて全く無茶をする。私なら秒でお釈迦。


相澤さんらしい筆跡を目で追いながら、署名箇所を指す。無骨な手には、細かい傷が増えていた。


「ちゃんと休んでる?」
「ぼちぼちな」
「あんまり頑張り過ぎないでね」


ペンを置いたその指に触れる。真新しい瘡蓋の表面をそっと撫でれば、痛いのかくすぐったいのかぴくりと跳ねて、気のない瞳が瞬いた。私が心配ともとれる言動をするだなんて思わなかったのだろう。一直線に注がれる眼差しは驚いているように感じられ、それが何だか優越的で微笑んでみせる。

相澤さんを知る度少しずつ惹かれていることは、まだ言わない。


手をずらし、申請書の空白欄を爪先で叩く。


「具体的な要望を書いてくれると助かるんだけど、何かない?」
「例えば?」
「んー……こう、もうちょっとサイズが小さくなったらとか」
「書けば実現されるのか?」
「不可能じゃなかったらね」
「ならこのまま出してくれ」
「どうして? 何も浮かばない?」
「いや、あるにはあるが、改善されるとここに来る用が減るだろ」


意図せず聞き流してしまいそうな程さらりと紡がれた言葉に、一瞬遅れて耳を疑った。

紙面上に落ち着かせたままの手を彼の手がそっと覆う。握るでもなく、撫でるでもなく。ただぬるい温度が滲んで、胸を襲ったのは動揺。今度は私が驚く番。


相澤さんがここへやって来る時、必ず顔を合わせるのは、誰だ。指名されるようになったのは、いつからだ。


「それ、私に会いたいってこと?」


自惚れだったなら否定して欲しかった。だって仮にもいい歳をした大人が、ぬか喜びは恥ずかしい。だから敢えて直接的な言い方をした。イエスかノーで答えられるよう。答えがもらいやすいよう。

ふ、と笑った相澤さんの手が離れる。


「……さあな。好きに解釈しろ」


席を立ち「また来る」と扉の向こうへ消えていった背中。表情、体温、声。バラバラのカードと申請書二枚。彼が残していったものは全部狡さと甘さを孕んでいるように思えて、今日初めて知った悪戯な一面に、暫く息が出来なかった。

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