彼のために出来ることはなんだろう。彼のために、与えてあげられるものはなんだろう。たとえば四月四日。弔くんの誕生日前なんかは特に悩む。欲しい物も分からないのだ。本人に聞いたところで、望んでいるような答えは返ってこない。『そうだな……強いて言うなら、オールマイトの首かなぁ』と口元を歪めて、私が嫌いな笑い方をするだけ。ろくな笑い方なんて、たぶん知らないのだろう。

過去の記憶を持ち合わせていない彼は、両親に愛されたことも、友達と遊んだこともない。他人と"先生"がいるだけの世界。怒りと憎しみと苛立ちだけが常に心の真ん中でとぐろを巻いていて、抗えない情動のままに四肢を動かす。彼の皮膚をその乱雑な切っ先で傷付ける。"仲間"が出来た今もそう。気が休まる瞬間なんて全然なくて、いつ誰が自分の首を取りに来るかも分からない日々の中で息をしている。甘えることも縋ることも出来ないまま。甘やかされるくすぐったさも、包まれる心地よさも知らないまま。


私が教えてあげられれば良かった。彼の知らないもの全部を与えてあげられれば良かった。彼の全てになれるくらい、もっと立派な人間だったなら。もっと魅力的な女だったなら。あるいは、ひどく優しくないこの世の中を彼に代わって壊してしまえるほどの力があったなら。もしそうだったなら、あなたの神様にだってなれたかもしれないのに。


「ごめんね弔くん。こんな使い道のない人間で」


まあるい背中に、そうっと手のひらを添える。薄いパーカー越しになぞった背骨は浮いていて、今夜は焼き肉でもしようかなあなんて愚考する。私に出来ることは、それくらい。ご飯を作って洗濯をして『じゃあ行ってくる』と扉の向こうへ消えていく背中を見送りながら、皆の無事を祈るくらい。

個性がないわけじゃない。でも連合の役に立てるものじゃなかった。生まれた瞬間から私はハズレ。ただ、人より少し上手く歌えるだけ。その歌で、ほんの少し脳波を整えることが出来るだけ。まあ睡眠導入剤としては、もしかしたら優秀かもしれない。いろんな個性が溢れる世の中で、私が与えられた価値はたったこれっぽっち。


ベッドの上で身じろいだ弔くんは、浅く息を吐いた。それから緩慢な動きで振り向く。彼の瞳に私が映る度、いつも、情けなさと幸福感が綯い交ぜになる。こんな私でも傍に置いてくれている弔くんに申し訳なさが募って、謝らずにはいられなくなる。


「ごめんね。何もしてあげられなくて 」


変な心地だ。色素の薄い猫っ毛を梳きながら微笑むと、彼は「まるで懺悔だな」と呟いた。


「無神論者のくせに」
「ごめん。鬱陶しかった?」
「いや、意外だっただけだ」


言葉通り、さして気にした風もなく欠伸をこぼした弔くんは、漸く起き上がってパキパキ体を鳴らした。お昼寝はもういいらしい。うるさかったかな。私が歌った後は良く眠っていることが多いのだけれど、今日はまだ一時間くらいだ。

少々反省しながら、寝癖かどうかの判別もつかないくらい散らかった髪を手ぐしで整えてやる。細まった赤い瞳がじいっとこちらを見ていることに首を傾ければ、以前と比べて幾らか皺の薄まった唇が小さく開いた。


「お前がいればいいよ」


言葉を失った私の頬を節張った指の背がすりすり撫でる。あまり触れることを良しとしない弔くんの方から触れてくれるなんて。いや、そんなことよりも私がいればいいだなんて、一体どういう心積りか。拙い懺悔に対する赦しのつもりか。それならもう一つだけ、赦されたいことがあるのだけれど。


「弔くん」って名前を呼んで、交わしたままの視線でお伺いを立てる。一瞬でも逸らされたなら、答えはノー。大人しく黙らざるをえない。けれど今日は「なまえ」と呼び返してくれた。大抵黙ったままなのに、さては夢見がよかったのか。そうやってご機嫌なままに笑ってくれれば、私も少しは笑えるのに。

ねえ、幸せを願わない私の神様。


「ずっと、隣にいたい」


指を浮かせたままのその手で、どうか傲慢な私を「好きにしろ」って赦して欲してね。

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