「なまえー!お迎え!」って友達の声に席を立つ。「じゃあまた明日。ありがとね」と、今の今まで私の雑談に付き合ってくれていた松川へ別れを告げ、今日も律儀に迎えに来た後輩の男の子と帰路に着いた。

告白を断って、じゃあせめて一週間だけ一緒に帰ってくれませんかってお願いを受けてから今日で四日。健気な彼には申し訳ないけど、やっぱり気持ちには応えられそうにない。バスに揺られ、彼が降りる停留所でバイバイする。家は私の方が遠かった。



翌日。あくび混じりに登校して、朝練から解放された松川と挨拶を交わす。すぐ横を通り過ぎ、私の後ろである自分の席にエナメルバッグを置いた彼からは、いつもと違った香りがした。何とはなしに振り返って「制汗剤変えた?」って聞いたら「……忘れたから花の借りたんだけど、何で分かんの。犬?」と、くすくす笑われた。

松川の笑い方は、いつも品があって可愛い。涼し気な瞳が僅かに弛んで、ふ、と優しさを灯すその瞬間が好きだと思う。


「私犬っぽい?」
「んー……どっちかって言うと猫かな」
「そっか。猫好き?」
「うん。好きだよ」
「じゃあ良かった」


チャイムが鳴ると同時に担任が入ってきて、朝礼が始まった。大体いつも同じ内容の話を右から左へ聞き流しつつ、あくびを噛み殺す。どれだけ寝ても眠いのは健康体である証拠か。嬉しいような嬉しくないような微妙な心地を携え、頬杖をつく。

一時間、二時間、三時間と堪えて四時間目。頭をぽんぽんされて顔を上げたそこには、購買の袋を手にこちらを見下ろす松川。どうやら、いつの間にか眠ってしまっていたらしい。「おはよ」って声に、まだぼーっとする頭で頷く。


「……もうお昼?」
「そ。良く寝てたね」
「あー……購買行かなきゃ」
「と思ってみょうじの分も買っといたんだけど、いる?」
「え、いる。超欲しい。お金いくら?」
「いいよ。これくらい」


あー。一気に目覚めた。有難う松川。今日お弁当作る時間なかったんだよね。ちょっと寝起きで上手く言葉が出てこないけど、取り敢えず松川の笑顔が可愛いってことは分かるよ。

手を合わせて「神様仏様松川様……」って拝んだら「拝まなくていいから一緒に食べよ」って、半笑いでお誘いされた。はい喜んで。



連れられた先は第三体育館の裏手。コンクリートの段差に並んで座り、すっかり固まった手足を伸ばす。お昼時だって言うのに、私達以外の影はない。バレー部専用の体育館として名高いだけあって、放課後以外は近寄りにくいのだろう。

湿り気のない風が肌を滑る。差し出されたお握りは、私の好きな焼さけハラミ味。


「選んでくれたの?」
「ん。好きでしょ?」


偶然かなあなんて思ったけれど、やっぱり。普段から『無理しちゃダメだよ』『俺に出来ることがあったら言って』とさり気なく気遣ってくれる松川は、人のことを良く見ている男の子だった。

ふつふつ湧きあがる嬉しさのまま「ありがと。凄い好き」って微笑む。再び風が吹き抜けて、視界の真ん中で瞬いた彼の瞳が、す、と細まる。いつもならそのまま笑ってくれる。でも、今日は違った。


「ねえ、俺にしない?」


さらさら、葉音。


「あいつより、俺の方が幸せにしてあげられると思うんだけど」


予想だにしない台詞が脳内をぐるり。

何を松川にするのとか、あいつって誰のこととか全然分からなくって。それでも、私を見つめたままの松川が真剣に話してくれていることは考えるまでもなく分かって。


「好き、ってこと……?」


自惚れ覚悟で探し当てた辻褄は、頷き一つで容易く肯定された。「最近彼氏と帰ってるみたいだけど、楽しそうに見えないからワンチャン」なんて。松川にしては珍しい茶化すような言い草からは、私が困ってしまわないための気遣いが窺える。

二年で初めて同じクラスになって、たまたま席が近くて話すようになって、三年にあがっても同じクラスで席も前後。思えば松川は、ずっと優しい。



ようやく平静が戻ってくる。そっか、私のこと好きなんだって理解する。期限付きで一緒に下校しているだけの後輩を彼氏だと勘違いしているだろうことも、もし私が楽しそうにしていたら身を引くつもりだっただろうことも、全部ひっくるめて呑み込む。

四日前には感じなかった熱が、じわり。
嬉しさとともに広がって、胸を包む。


「ワンチャンどころか、トリプルチャンスくらいあるよ」
「……そうなの?」
「だって彼氏いないし」
「え?」
「最近迎えに来てる男子のこと言ってるでしょ? あれ後輩なの」


この間告白されてね、と一から十まで説明する。目を点にして聞いていた松川は徐々に顔を赤らめ「うわ……凄い恥ずいことした」って、言葉通り恥ずかしそうに苦笑した。それから「結構必死だったんだけど」なんて、とても嬉しそうに可愛く笑った。

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