さっきからちらちら感じる視線が気になって顔を上げれば、ふと、明るい髪をした男と目が合った。人好きしそうな薄っぺらい笑みを浮かべ「こんにちは」と手をひらひら振られて、動揺。はて、あんな知り合いがいただろうか。早々に記憶を辿り始め、けれど、ひょっこり顔を覗かせたもう一人と共に歩み寄ってきた彼らが「すみません、可愛いなーと思って。良かったらお茶しません?」と首を傾けたその時、ああナンパかって気付いた。

背は百七十と少しくらい。耳にはピアスが少々。重ね着風デザインのプルオーバーシャツ。カーキ色のズボンに、黒いボディバッグ。半歩後ろでまた違った笑みを貼り付けているもう一人の男は、薄手のワイシャツにウォッシュデニム。大学生くらいだろうか。たぶん二十代前半。若いなあ。困ったなあ。どう断ったものか。


「もしかして友達待ってたりします? 全然一緒でもいっすよ。俺らも二人なんで」
「丁度そこに良いカフェあるんですよ」


のんびり考えている間にも、次から次へと降り注ぐ軽やかな言葉の雨はやまない。せっかく引っ掛けようと頑張ってくれているところ非常に申し訳ないけれど、残念ながらもう火遊びがしたいような歳でもなければ、左の薬指は売約済み。旦那を待ってるからごめんなさいって言えば、大人しく引き下がってくれるだろうか。


「てか髪綺麗っすねー。地毛ですか?」


遠慮なく伸ばされた指の中腹。視界の上部で、ゴツいリングが太陽の光を弾いた刹那。まるで全てを遮るかのような影が落ちて、パシッ。乾いた音。


「悪いが、ただのナンパなら他を当たってくれ。それとも、」


見知った温度に腰を抱かれ、ふわり。
浮き立つ熱。


「俺の妻に何か用か?」


頭上から外側へ向かって放たれた声は低く重く。当たり障りのない平坦さを保っているようでいて、実にハッキリとした牽制と威嚇を孕んでいた。

百八十越えの、さぞかし鋭く刺さっているだろう眼光にさらされて、今の今まで感心するほどよく回っていたお喋りが止まる。若い二人が息を呑む様を肌で感じながら、私はひとり、ピリついた空気に全く不似合いな笑みを手のひらへ隠した。コンマ数秒の後「いえ、ただのナンパです。奥さんだって知らなくて。すみません」と丁重に謝った軽い声は、足早に遠退いていった。


ごめんなさいね。うちの主人、私のこととなると大人気なくって。

心の中でそう謝りながら、胸の内に溢れかえる優越的な幸福をそうっと仕舞い込む。見上げた先で息を吐いた消太の腕は、未だ離れないまま。目が合うなり「……何笑ってんだ」と訝しげに眉が顰められた。


「ごめんごめん。ヤキモチかなーって思ったら嬉しくなっちゃって」
「お前な……誰だって見知った女が男に絡まれてりゃ守るだろ」
「"俺の妻"が強く聞こえたけど?」
「……気のせいだ」


ふいっと逸らされた視線の代わり。腰から浮いた大きな手に、くしゃくしゃ頭を掻き撫ぜられる。結婚してからはあまり照れなくなった彼だけれど、たぶんさっきのは無意識で、今更恥ずかしくなったのだろう。よそ行き用に纏められている髪から覗く耳も首筋も、ほんのり赤く染まっていた。

今度は隠すことなく破顔し、勝手に細まった視界の中、歩き出したその腕へ抱き着く。「こら、なまえ」と窘める声は艶やかで優しく、落とされた溜息でさえ、私の心を浮遊させるには十分だった。

back - index