佐久早家にお呼ばれし、バランスのとれた美味しいご飯をたらふくいただいた夢みたいな夜。臣くんの部屋で、声をあげてバラエティー番組を楽しんでいれば、不意に伸ばされた指先が口端の更に横をつついた。バレーボールをしているからか、それとも性分か。綺麗に切り揃えられた爪は全然痛くない。


いくらお風呂に入った後とはいえ、潔癖症である彼にしては珍しいこと。たまに手を繋いでくれたり、ぎゅうって抱き締めてくれたりするけれど、それでも世間一般でいう恋人達に比べれば、スキンシップの頻度も時間も圧倒的に少ないだろうと思う。そんなだから当然びっくりした。臣くんしか知らない、初恋が実ったばかりのウブな乙女心が騒ぎだす。

思わずテレビそっちのけで隣を見遣れば、黒目がちの大きな瞳とかち合った。恥ずかしいかな。私と違って動揺なんか微塵も窺えないそれは、相変わらず考えていることのひとつも読ませてくれやしない。


一旦離れた指先が、再度頬へ寄せられる。本当に珍しい。どうしたんだろう。答えを探し出す前に親指の腹ですりすり撫でられ、体のど真ん中が拍動する。


「臣くん……?」


絞り出した声は少々掠れた。「なに、なまえ」と不愛想な音が返ってきて、でも返事の用意が出来るほど落ち着いてはいなくて。ただ胸の奥からせり上がる愛しさばかりが、耐性のない喉を圧迫する。

そうこうしている内、不服そうに眉根を寄せた臣くんが「嫌ならそう言えばいいだろ」と手を引っ込めようとするものだから、慌てて掴んだ。


「っ、ち、違くて……」


ああ、顔が熱い。私よりも大きな手。ごつごつしていて節張っていて、女の子とは全然違う、臣くんの手。


「嬉し、くて」


触れた皮膚から一瞬にして湧きたった火照り。上手く言葉が吐き出せない。だって仕方ない。普段、首が痛いほど見上げてばかりの臣くんが、すぐそこにいる。部活の時しかお目にかかれない薄い唇が小さく笑んで、機嫌を損ねるどころか喜んでくれていることが如実に伝わる。愛しい人が私の言動ひとつで一喜一憂する姿の、なんと贅沢なことか。顔を上げているのも気恥ずかしくって、でも視界からはずしてしまうのはどうしても勿体なくて。

何とも形容しがたい恋情を抱いたまま、この鼓動が高鳴るまま。臣くんの手をきゅっと握る。


「私の顔、何かついてた?」
「いや、触ってみたくなっただけ。お前、こっち側だけ笑窪出来るから」
「あー……変でしょ」


笑窪って単語に思わず洩れたのは苦笑い。あんまり良い思い出がないのだ。“顔が凹んでる”とか“おばさん”とか。別に良くある話。小学生特有の面白半分なからかいで、今となっては軽く流してしまえる程度だけれど、幼かった当時は嫌で嫌で仕方なかった。モデルや女優さんの笑窪は可愛いなって思うのに、鏡に映る私のそれは憎らしかった。

もちろん“触ってみたくなった”って言葉通りに触れたくらいなのだから、彼が負の感情を抱いていないことは分かる。でもどう頑張ったって、染み付いた劣等感は浮き出てしまうもの。


自然と落ちた視線。せっかくの素敵な夜にこんなんじゃダメだって息を吐いて、自分を鼓舞する。背中を押してくれたのは臣くんの体温。それから「別に変じゃないだろ」って真剣な声。


「むしろ、チャームポイントだと思ってた」


まるで掬いとられるよう。徐々に高さが戻った視界の中、臣くんは「可愛い」と呟いた。「たぶんなまえが、俺のホクロが好きって言ったのと同じ感じ」と、どこか照れくさそうに目を逸らした。

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