シトラスの日々



いつも家まで送ってくれる。部活終わりに公園なんかでちょっと話した後はもちろん、一日遊んだデートの帰りも、きちんと送り届けてくれる。

ついでじゃない。距離が近いからでもない。たとえ電車で小一時間ほど離れてたって、私がいいよと遠慮したって、彼は二つ返事でやめたりしない。心配だから、大切だから、ギリギリまで一緒にいたいから、の三拍子。照れ屋さんで言葉は決して多くも上手くもないけれど、それでも私が恋するはじめは、そういう感じの男の子。

今日も今日とて我が家の門前に無事到着。いつの間にか空はすっかり夜の顔。お月様が明るく見えるくらいだから、たぶん結構いい時間。


「ありがとう。楽しかった」


繋いでいる手を、きゅっと握る。微笑みながら向き合えば「おう。俺も」と、はじめが笑った。ニカッとした無邪気な笑顔も好きだけど、ちょっと口元をゆるめるだけの今の笑い方もすごく好き。余裕があってかっこいい。つくづくベタ惚れだと思う。

離れていく手が名残惜しい。本当はもっと傍にいたい。朝も夜も、ずっとずっと触れていたい。早く大人になれたらなあ。そうしたら、同棲してくださいってお願いも、プロポーズだって出来るのに。いや、それは俺から言わせろって顰めっ面になっちゃうかな。あーあ、高校生ってもどかしい。こんなにたくさん好きなのに、時間は待ってくれやしない。


「なまえ?」
「ん?」
「いや、その……手……」
「手? ……あ」


言われて視線を下げて気付く。私の手が、はじめの片手を捕まえていた。どうも体は素直らしい。けれど縋るわけにはいかない。寂しいのは、なにも私だけじゃない。はじめもきっとおんなじで、でも自分がしっかりしなきゃって、私のためにぐっと堪えてくれている。優しい人を困らせるのはよろしくない。

そっと離して謝罪を紡いだ。ごめん、なんでもないの、また明日。顔をあげていつも通り取り繕えば、やけに静かなはじめの瞳が細まって。そうして半歩、近付いた。


「え―――」


洩れた声が、彼の肩へと吸収される。後頭部を包んだ厚い手のひら。背中に回った太い腕。触れ合っている箇所から染み込む、高い温度と鼓動音。鼻腔に広がる、どこか落ち着くはじめの匂い。

寄り添うように抱き締められ、それがあんまりやわい力なものだから、まるで宥められているみたい。たぶん私がよっぽど寂しそうに見えたのだろう。ごめんねはじめ。不甲斐なくって。でも嬉しいよ。いつも私のためを想って動いてくれるその優しさが、どうしようもなく心をさらう。


「分かってると思うけど、おまえだけじゃねえからな」
「うん」
「明日、寝坊すんなよ」
「うん。はじめも朝練がんばってね」
「おう」


鼓膜の隣。ゆるやかな声に頬が弛む。力一杯ぎゅうっと抱き着き、お返し完了。はじめの温度も声も匂いも、皮膚の内側に閉じ込めた。どちらからともなく視線を交わす。ちょっと赤い耳と目元に小さく笑い、それからゆっくり離れて手を振った。また明日、予鈴前の教室で。



title 約30の嘘
21.09.10

back - index