あなたのためのくちびるだったの



全然強くはないけれど、隠れんぼが上手な呪霊だった。あっちへこっちへ身を隠されて追いかけられない。仕方なしにホールの中央で、じっと待つ。もちろん警戒は怠らない。でもおあいにく。ちょっとばかし私の反応が遅れてしまい、


「なまえ!」
「ッ!」


姫抱き状態で悠仁に救い出された時にはもう、ぱっくり頬が切れていた。

結局祓えはしたけれど、皮膚を伝う血がとまらない上になかなか痛い。いや自業自得だからいいんだよ。別に怪我くらい、いつものこと。ただ、正面にしゃがんだ悠仁の眉が下がりに下がり、心配そうな、申し訳なさそうな、とにかくすっかり気落ちしてしまった姿がなんとも胸にくる。

近くの水道で濡らしてきてくれたらしいハンカチが、そうっと頬に当てられた。患部でどくどく脈打つ熱が、ゆっくりゆっくり冷やされる。


「痛い、よな。ごめん。間に合わんくて」
「十分間に合ったし大丈夫だよ。ありがと」
「けど、女の子なのに、顔……」
「大丈夫。切れてるだけだしすぐ治る。ほら、帰ったら硝子さんもいるし」
「……ごめん」


ああもうやめて。違うんだって。私が欲しいのはそんな謝罪じゃ全然なくて“お疲れさん”って笑顔だけ。私、悠仁の笑顔を見ないと安心出来ない人間だからさ。本当は口を動かす度に皮膚がつって痛い中、なんのために明るく笑って答えていると思ってんの。


「悠仁」
「……」


おずおず持ち上げられた双眼は、自責の色に染まっていた。こういう時、優しすぎるっていうのは困りものだと苦笑する。伏黒みたいに『避けられないオマエが悪い』スタンスでいてくれたなら、お互いもっと楽だったのに。でもそんなところが好きなんだから、怒るわけにも叱るわけにもいかなくて。

私なりの手段を探す。悠仁が悠仁を赦せるような、ちょっとした償い代わりになれるような、互いのためのわがままを。


「これ、たぶん痛くて普通のご飯食べられないと思うからさ。帰ったらお粥作ってくれない?」
「……いーよ。そんなんでいいなら、いくらでも」
「卵入ってて味濃いめ」
「ん。任して」
「デザートはアイスがいいかな」
「あー……部屋にねえから買ってくる。どんなやつ?」
「二人で半分こ出来るやつ」


悪戯にねだってみれば、ようやく意図を察したらしい。一瞬見開いた悠仁の瞳が細まって、それから「りょーかい」と俯きがちに、小さな笑みが浮かべられた。


title 星食
21.08.15

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