無菌室生まれのあなたとわたし



高専が好きだった。校舎は古くて歩くたびにギィギィ鳴くし、敷地が広くて移動が大変。それでも星がよく見えた。街の灯りに邪魔されず、今日みたいな新月の日は降ってきそうな星々が、頭上一面に瞬いている。人の数より緑が多くて、空気も美味しい。まるで東京じゃないみたい。冷んやりとした静けさだけが、身を潜めながら息をしている。


「お、いたいた。なまえ!」
「?」


カラン。瓦を小さく鳴かせながら軽い足取りで寄ってきたのは悠仁だった。任務終わりか、この時間にはあんまり見ない制服姿。

屋根登ったの? 危ないよ。へーき、てかそれ言うならなまえもじゃん。朗らかな笑顔が隣に座る。何千光年先から届く針先みたいな光の中、悠仁だけが色付いていて、焚き火みたいにあったかい。


「星見てんの?」
「うん。悠仁は私に用事?」
「や、顔見に来ただけ」
「なにそれ。喜ばせ上手だね」
「んー、べつに喜ばせようと思って言ったわけじゃねえけど……まあ、なまえが嬉しかったんならいいや」


顔を見合せ交わした笑みが、夜の静寂へ溶けていく。

こうして悠仁とふたりでゆっくり過ごすのは、そんなにめずらしいことじゃない。休日に野薔薇と恵と四人で出掛けた後だって、どちらかの部屋でご飯を作って一緒に食べたり、散歩に出たり。くっつき合って眠ることもちょっとある。とはいえ悠仁の寝相が、え?嘘でしょ? ってくらい悪いから、寝不足になっても支障がない時限定だけど。それでも彼に選ばれた日々は安らかで、隣でいられる今はひどくやわらかい。


少し冷えてきたかなあ。夜風に体温をさらわれて、むき出しの腕を小さくさする。気付いた悠仁は自分の上着をもそもそ脱ぐなり、私の肩にかけてくれた。まるで抱き締められているかのよう。優しい温度が広がって、悠仁のベッドと同じ匂いが鼻腔を抜けて流れ込む。胸の底、しゃらしゃら湧き立つ幸福感が愛おしい。

「いいの?」と隣を見上げれば、悠仁は一も二もなく頷いた。「女の子って冷やすとダメなんだろ?」なんて悪びれもなく言うものだから、面倒くさい乙女心がほんのちょこっとささくれる。


「女の子だったら貸しちゃうの」
「え?」
「上着。私以外の女の子にも、寒そうだったら貸しちゃうの?」


独占欲と嫉妬心。さすがにみっともなかったな。反省しながら眉を下げれば、星明かりをきれいに吸い込む双眼が綻ぶように、ふ、とゆるんだ。


「貸すよ。釘崎にも伏黒にも。寒がってたら、誰にでも」


厚い手のひらが伸びてきて、男の子らしい無骨な指にゆるゆる髪を流される。「けど」と、すぐ近くから彼特有の声がする。覗き込むようにだんだん迫る眼差しが、温度が、匂いが、すべてが、私の空を埋め尽くす。


「うわぶかぶか、可愛い、すき、上着貸すんじゃなくて俺があっためればよかったな、って。なまえにしか思わねえから安心して」

あと、やきもち嬉しい。


もう上着さえもいらないくらい充分火照った私の頬に一瞬落ちた唇は、瞬く間もなく、恥ずかしそうに俯いた。


title 白鉛筆
21.08.15

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