いつかこの花に名前をつける



男の人、って感じの背中が好き。広くて大きくごつごつしてて、服の上からなぞるだけでも、鍛えていることがよく分かる。いつだったかな。もう忘れてしまったけれど、勝手にこうなったんだと言っていた。そこはわたしが絶対に踏み込めない領域で、だからこそ表情だとか声色だとか、やっぱり忘れてしまったけれど。


「背中で満足か?」


不意に振り返った甚爾が笑う。器用に口角をつりあげて、からかうように、おかしそうに、愛おしそうに「安い女だな」と喉の奥でくつくつ笑う。ご機嫌さんな様子はずいぶん可愛らしい。姿かたちも声も仕草もまごうことなき色男なのに“甘えたい”って幼心が透けている。わたしにはそう見える。


「甚爾の背中は高級品だよ」
「そりゃどーも」
「あれ、ぜんぜん分かってないね?」
「あ? なまえにとって俺には価値があるって話じゃねえのか」
「お、それそれ。分かってるじゃん」
「こんだけ毎日言われりゃな」
「じゃあ大事にされてるって自覚は? ある?」
「……」
「甚爾?」


投げかけながら背後のベッドへ腰掛ける。首裏をかく横顔は、なんともバツが悪そうだった。あわよくばこのまま話が流れていけば、って期待がこもった一瞥をにっこり笑顔で撃退する。そうやって逃げようとするの、やめてよね。こっちは真剣なんだから。

強くなくちゃ生きていけない世界で独り、きっとろくな愛情ひとつ与えられなかったに違いない。だって彼の愛し方は、ひどく不器用で手探りだ。今まで誰にも守られなかった心はとうに錆びてしまって、自分自身で油を差すにはどうしたって無理がある。だからわたしがここにいる。甚爾が甚爾を蔑ろにしてしまうたび、わたしが大事に包んであげる。諦めないでねだることを覚えてくれれば、欲しいままに与えてあげる。わたしの全部で守ってあげる。もう怯えなくていいように、もう嘆かなくていいように、もう呪わなくていいように。甚爾と出逢って、わたしの世界はそんなに悪くなくなったから、半分でもいい。この充足感を感じて欲しい。あなたの心はちゃんとあなたの中にいるんだって、わかって欲しい。


数秒黙った甚爾は息を吐いたのち、ある、と短く肯いた。何をそんなに恥ずかしがっているんだか。もしかしたら照れているのかもしれない。あんまり慣れていないはずだからどんな顔をすればいいのか分からなくって、戸惑っている可能性もゼロじゃない。

甚爾、呼びながら膝を叩く。くっつきたいならおいでよ。そんな曖昧な、促すような誘い方じゃなくってさ。


「……普通逆だろ」
「なにが?」
「全部だ全部。大事にされんのも、そうやって呼ぶのも」
「そうかな」
「少なくとも今までにはねえ」
「わたしがはじめてなの? 嬉しい」
「……」


調子が狂う。そう言わんばかりの顰めっ面が、呆れと嬉しさ混じりの笑みへと変わる。上がった片口に反比例して下がった眉尻、やわらいだ目元が優しげになるこの瞬間を、わたしはずっと守ってく。



title 失青
21.08.28

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