触れると火になる類の永遠




「岩泉」

 教室内、ざらついた喧騒をすり抜けてきた声に振り返る。弁当を広げたり雑談を楽しんだりと各々が自由に過ごしている中、みょうじは自分の席に座ったまま静かに微笑み、それから宙を指でつついた。廊下後方扉側。示されたそこには金田一がいて、所在なさ気に周囲を見回している。たぶん及川か俺を探しているのだろう。
 サンキューな。お礼代わりに軽く片手をあげて立ち上がる。みょうじはやはり微笑みながら頷いて、窓の外へ視線を戻した。いつだったか空が好きだと言っていたことを思い出す。


 キッカケは何だったか。考えたところで思いつくほどの何かがあったわけではない。お互い、三年で同じクラスになってから初めて顔と名前を知った。いや、もしかしたらみょうじは俺の名前くらいは知っていたかもしれないが、まあ及川のおまけ程度に過ぎなかっただろう。不本意ながらあいつの顔が広いだけで俺単体はそうでもない。
 とにかく接点なんて全くなかったにもかかわらず、今では視線を交わすだけでなんとなく会話が出来るくらいの仲だ。みょうじが落ち着いているからか、他の女子に比べて裏表が感じられないからかはわからない。ただなんとなく心地がいい。たとえば川沿いの木陰のように、みょうじの周りは空気がきれいで澄んでいる。どんなにうるさい教室だろうとみょうじの声は聞こえるし、すうっと鼓膜に良く馴染む。みょうじといると、考えたってどうしようもない不安も焦りも怒りさえも消えていく。


 やっぱ礼は言った方がいいよな。
 金田一の伝達事項を聞き受けてから思い直し、自分の席へ戻る前にみょうじのもとへ歩み寄る。気付いた彼女はこちらを見上げ、俺が口を開くよりも早く「後輩くんで合ってたみたいだね」と言った。

「おう。ありがとな」
「どういたしまして。上の人は大変だね」
「そうでもねぇよ」

 丁度、前の席が空いていたので腰を下ろす。まるでそれが当然のようにみょうじの表情は変わらない。どころか少し身を引いて、俺の腕の置き場所を自身の机の上に作った。
 いつもこうだ。いつもみょうじは俺が近くにいることをそのまま受け入れて、自然と居場所を与えてくれる。好きなだけここに居ていいのだと言葉以外で迎えてくれる。

「大変じゃないの?」
「ぜんぜん。まあ部長がアレなだけに集合時間とかは気ぃ抜けねーけど」
「ふうん。ちゃんと守りそうなのにね」
「は? 及川が?」
「え? うん」

 ざわり。胸の辺りを何かが這った。心地よさとはほど遠い、何かとても嫌なもの。怒りとも気持ち悪さとも違った腹がふつふつ煮えるような感覚に、自分の眉根が寄るのがわかる。そんな俺とは裏腹にみょうじの眉尻はしゅんと下がった。違う。そんな顔をさせたいわけじゃない。
 どしたの? って、俺にもわからん。わたし変なこと言ったかな、って、べつに普通のことしか聞いてねえ、と思う。みょうじは何も悪くない。みょうじはただ俺が大変そうだと思ってて、俺がそれを否定して及川を引き合いに出して、けどみょうじは及川がちゃんとしてそうって思ってて―――。

 そこまで思考を巡らせて、ようやく気付く。自分自身から未だ湧き続けているこの違和感の正体を自覚する。

 みょうじが及川を認識していた、出来る奴だと思っていた、ちゃんと守りそうなのにと聞きようによっては擁護した、そんな些細なことがただ気に食わない。ああそうか。そうか、俺は、―――みょうじに俺だけ見ていてほしいのか。


「ッ!」


 瞬間、みっともなさと羞恥がせり上がった。早鐘を打つ胸がうるさくて、握ることも動かすことも出来ない指の先まで熱い。最早嫌悪感も虫の居所も判別出来ない。なのに目の前で俺を映す瞳が見開いていく様だけは鮮明で、マジで勘弁してほしい。
 なんとか伏せた顔を逸らす。みょうじの席が窓際で良かったと無理やり別のことを考えながら思考を冷まし、ただ逃げる為の言い訳に予鈴を待った。


title alkalism
23.09.10

Request:岩泉or孤爪or赤葦
全く接点がなかったけれど同じクラスになって少しずつ距離を縮めていきなんとなく居心地が良く、いつのまにか常に一緒にいるくらい仲良くなったお相手がほんの小さなキッカケを機に「ああ、俺は、この人の事が」と好きを自覚する瞬間の話

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