夢中におなりよ



 まろやかな午後のことだった。
 四限目の終わりを告げるチャイムが鳴って、机の上を片付けてから席を立つ。二年生の教室へ、いつもどおり治を迎えに行こうと思った。昼食はできるだけ一緒に食べると約束していて、私が迎えに行っている。下級生の有名人が上級生のクラス棟には来づらいだろうから。
 でも今日は、治が扉前にいた。どうやら迎えにきてくれたらしい。わざわざ、三年生の教室に。


「めずらしいね。どうしたの?」
「べつにどうもせんけど、たまにはええやろ」


 わずかに屈んだ治に左手をすくわれる。骨張った男の子らしい指が、私の指と指の間にすべりこむ。治から恋人繋ぎをしてくるだなんてめずらしい。周囲の視線がわずらわしいと校内でのスキンシップは好まないのに、なにか悪いものでも食べたのか。
 ありがとうとお礼を言って、食堂までの道を進む。

 治と知り合ったのは去年、桜が散って、夏の気配が青々と空を染めはじめた頃のこと。当時、転校してきたばかりの私は関西特有の空気感にうまく馴染めず、ひとりぼっちで校内をさまよっていたところ、治が声をかけてくれたのだ。
 あの時は半月型の無気力そうな瞳とポーカーフェイスが怖かったな。背は高いし体は大きいしタメ口だし落ち着いてるし、てっきり先輩だと思っていた。治も私の挙動不審っぷりに同級生だと思ったようで、ひとつ上だと知った時は驚いた、と後から聞いた。まさかお互い居心地が良くなってしまうだなんて夢にも思わなかったね。


 食堂前の廊下はすでに、美味しそうなにおいで満ちていた。


「なまえなに食べるん?」
「んー」


 注文口に並びながらメニューを見遣る。今日のおすすめは定食らしい。魚か肉か……あ、おにぎり良いなあ。繋いだままの手を引いて、屈んだ治に耳打ちする。頷いた彼は「席取って待っとって」と、埋まりつつあるテーブルを顎でしゃくった。
 めずらしい。いつもは注文も受け取りも一緒に行動するのに私を先に座らせるだなんて。やっぱり変なものでも食べたのか。

 名残り惜しげに離れた手が、財布を出そうとした私を制する。これもめずらしい。というより、初めてのことだった。




「ねえ治」
「ん?」
「なにかあった?」
「なんで?」
「今日、ちょっと変だよ」
「そ? 気のせいとちゃうか?」


 屋外の自動販売機前。差し出されたジュースの缶を受け取る。治はいたって平静で特に変わった様子はない。でも今日は、めずらしいことばかり起きている。

 あの後、本当に私は座っているだけで良かった。二人分の注文から受け取りまで済ませた治がトレーを運んできて、食べ終わった後の返却もしてくれた。それに今手にしているこのジュースだって治の奢り。中庭でゆっくりしよか、なんて、嬉しいけれど落ち着かない。
 なにかあるなら言ってほしいし、なにかあったなら聞きたいと思う。治の心はちょっとやそっとじゃ見えないから、口に出して教えてくれなきゃわからない。いったいなにが、あなたをこんな風に行動させているのかな。まあ十中八九、私だろうけど。私じゃなかったら妬けちゃうね。


「エスコートされるのは嫌いじゃないけど、いつもの治がいいな、私」


 手中のジュースをただ見つめる。見慣れたパッケージに比べて、今日の治は全然慣れない。治の気持ちがわからない。当たり前のことなのに、それが今はおもしろくない。双子だったらわかったのかな。侑くんを羨ましいと思う日がくるなんて思わなかったな。

 ガコン。自動販売機からジュースが出てくる音がした。視界の端から治の影が近づいてきて、靴が映って止まった。彼の目に、俯いたままの私はどう見えているのだろう。今彼は、どんな顔をしているのだろう。無表情か、顰めっ面か、情けない顔か。

 なまえ、と呼ばれた名前に顎を持ち上げる。


「めっちゃ好き」
「……うん?」
「ごめん、好きすぎて焦ってもうた、ほんまごめん」
「えっと、や、いいんだけど。焦ってた?」
「かっこ悪いからあんま言いたないけど、おまえ、あと一年せん間に卒業したら大人の男と関わる機会増えるやろ。そしたら俺、勝ち目ないかもしれんやん」
「私が治以外を好きになるかもってこと? ないない」
「わからんで。シュッとした大人に狙われたらコロッといってまうかもしれへんし……」
「私のことそんな人間だと思ってるの?」
「ちゃう、そうやない」


 大きな溜息を吐きながら、しおれるようにしゃがみこんだ治を見下ろす。あ、つむじ。


「俺に自信ないだけや」


 拍子抜けした私と違って治の声は、今にも泣き出してしまいそう。初めて目にする小さな姿がいじらしくて愛おしい、なんて言ったらもっと自信を失くしちゃうかもしれないし、変な目で見られるかもしれないからやめておく。
 代わりによしよし頭を撫でた。私を夢中にさせるために、頑張って背伸びしてくれたんだね。


「ありがとう治」
「なんもしてへんし」
「拗ねないでよ」


 こんなに可愛い人はきっといない。いたとしても、治と全く同じ人なんて絶対いない。だから心配しないでほしい。感情は形のないものだから不安になるのもしかたないけど、そういう時は確かめてほしい。何回だって向き合うし、何度だって答えるよ。
 世界に一人、あなただけが好きだよ。


title 温度計
25.02.19

Request:及川or宮治
年下彼がちょっと背伸びするところが見たい。付き合ってても、付き合ってなくてもok。

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