じっとりと、湿った空気が纏わりつく。

生ぬるい風が頬を撫で、蚊除けに焚いた線香がくゆる半宵。月明かりに照らされた街はとても静かに眠っているというのに、私の睡魔はどこへ遊びに行ってしまったのか。


まるで地を這うように、ずっと向こうまで続いている街並みを眺めながら横たわる。低くなった視界から、人工的な光が消える。床からひんやり伝わる冷たさは心地よく、どこか懐かしさを覚える木の香りが、日頃のストレスを溶かしていった。

荼毘が見つけてきたこの日本家屋は、なんとも居心地がいい。

持ち主は知らない。彼の薪にされてしまったのかもしれないし、どこか遠い所で暮らしているのかもしれない。電気もガスも水道も使えているから、もしかしたら彼の別荘なのかもしれない。まあそんなこと、どうだっていい。こんな素敵なお家に住まないなんて、勿体ない人だ。


「寝んなら布団行けって」
「起きてるよ。転がってるだけ」


私を見下ろす荼毘は、少し肩を竦めて枕元へ座った。

「ほらよ」と頬へ当てられた冷たさに、肩が跳ねる。何かと思えば、ちょっと高級なカップアイス。ついで差し出されたスプーンを受け取りながら、体を起こした。


「買ってきたの?」
「イカレ女がな」
「え、トガちゃん?」
「昼間会ったんだよ。ここは教えてねえから安心しろ」
「そう。教えても良かったのに」
「やめろ。俺はお前だけでいい」


くしゃり。大きな手のひらに頭を撫でられる。
面倒くさそうでいて、気だるげな手付き。

何を考えているのか全然読めなくて、飄々と紡がれる甘い言葉は、殆ど重みを持たない。かと言って軽いわけでもない。彼特有の重力みたいなものが、私の全神経を酔わせる。


「私も、あなた以外いらないかな」


声は聞こえなかったけれど、一瞬揺れた空気に、彼が笑ったことを知る。

舌の上で溶けたアイスが、ひんやり喉を通った。胸のあたりが冷たい。長く節張った指が、私の髪を梳いていく。やっぱり気だるそうな、けれど優しい手付き。
普段より熱を帯びているのは、季節柄だろうか。いつだったか、体温調節が下手なのだと言っていた。


アイスをすくって、荼毘の口元へ差し出す。うかがうような視線に頷いてみせ、薄く開かれた口の中へ、何度か運んでやった。たった一言「甘……」と呟いた低音が、夜の静けさとともに浮遊する。

まるで現実味のない、深い夜。
じっとりと、湿った空気が纏わりつく。


「なまえ」
「ん?」
「お前さっき、何つったっけ」
「……荼毘以外いらない?」
「ああ、それそれ。もう一回言って」
「なんで?」
「なんでも」


寄り添うように凭れてきた体は、思った以上に熱かった。きっと、逃げ場である汗腺が少ないせいだろう。こんな状態のくせに一つしかないアイスを私にくれたのは、単に甘い物が苦手だったからか、それとも私の為か。もし後者だったなら、彼もたいがい私に酔っている。

こっち向いてと名前を呼べば、私の肩へ頬を預けたまま、大人しく上げられた視線。


「好き」
「……随分ベタ惚れだな」
「お互いさまでしょ」
「どうだか」
「えー……さっき私だけでいいって言わなかった?」
「なまえ」
「?」
「好き」


にやりと笑った狡い瞳に捕まったが最後、はっきり鼓膜を覆った器用なリップ音と、ザラついた感触に絆される。僅か一瞬。ほんの数秒。それでも十二分に移された熱が、じりじり胸を焦がす。

悪戯なキスは嫌いじゃない。だから今日は、上手い具合にはぐらかされてあげよう。

あなたが欲する愛が私であるなら、なんだっていい。

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