「ちょっと逃げないでってば」
「逃げてねえわ!端から要らねえっつっとんだろ寄んじゃねえ!」
「悪化したらどうすんの?どうせ消毒もしてないんでしょ」
「するかボケ!舐めときゃ治んだよ!」
「そんな目元までどうやって舐めんのよ」
「うるせえ!!」
「もう、分が悪くなるとすぐうるさいって言うんだから……とりあえず座ってかっちゃん!」


寄るな触るな離れろ要らねえ、と、まるで駄々っ子のように騒ぐかっちゃんの肩を全体重で押さえつけ、無理矢理座らせる。


全く。仮免を取得したばかりだっていうのに、一体どこで何をしてきたのか。帰ってきた彼の目元には、切り傷が一直線に走っていた。

そんなに深くはないみたいだけれど、固まった血はそのままだし、到底手当てをしたようには見えない。こういう些細な傷ほど、細菌感染が起こると怖いのだ。たとえどれだけ暴れられたって、リカバリーガールを師として学んでいる身である以上、見過ごすわけにはいかない。

それに。


「大事な人だから、私が治せる怪我は治したいの」


逃げようとした彼の両手を強引に握って、顔を覗き込む。眉間のシワをこれでもかと刻んでいる顰めっ面はすぐに逸らされてしまったけれど、とりあえず観念したらしい。じっとしたまま不服そうに口を尖らせたかっちゃんは「好きにしろやクソなまえ」と、大きく舌を打った。


いつからこんなに全力で嫌がるようになってしまったのか。目元の傷を指先でなぞり、そっと手のひらで覆いながら考える。

患部へ触れることで傷を治すこの個性は、昔からよく使っていた。”舐めときゃ治る”は、確かにかっちゃんの口癖だったけれど、それでも嫌がられることはなかったように思う。小さな違和感を覚えたのは、中学二年生あたりだったか。何かしてしまったのかもしれない。そう記憶を掘り起こしてみても、それらしい原因は結局見つからず仕舞い。

個性を使いながら、あの頃より大人びた横顔を眺める。ちょっとだけ浮かんだのは、たぶん寂しさ。


「ねえ、私の個性って痛かったりする?」
「は?」
「自分に使えないから分かんなくて」
「……んなこと何で知りてえんだ」
「かっちゃんが嫌がるの、そのせいかと思って」
「この俺がんな理由で嫌がるわけねえだろ。ぶっ殺すぞカス」
「だって、要らないって言うじゃん……」


放った声は、思ったよりも震えてしぼんだ。違うんだよ。こんな風にしょんぼりするつもりなんて全然なくて、ただちょっと気になっただけ。そう誤魔化すように笑ってみせれば、聞き慣れた舌打ちと大きな溜息が鼓膜を覆った。


「……別に痛くねえし嫌でもねえわ」
「じゃあ何で、」
「うるせえな。今考えてんだ。黙って待ってろ喋んなカス」


いつもの荒い物言い。怒ってはいないらしいその声は、さっきよりも幾分か穏やかで、言葉通り何かを考えているらしいと知る。


「つか、そもそも個性使わすほどの怪我でもねえし、……てめえに触られっと、何かこう……」


言い淀んだかっちゃんは、ほんの少し俯いた。


「………むず痒くなんだよ」


分かれやクソが、と。たっぷり間を置いて紡がれたそれに、息を忘れる。ろくに働かない頭をフル回転させて、上手くのみ込めないままの意味を探る。
ちらりと寄越された視線は明後日の方向へ泳いでいって、取り残された私の思考だけが、彼の皮膚同様に熱を帯びた。

back - index