なぁん、と可愛らしい声。
私の足元でごろごろと喉を鳴らしている三毛猫は、随分と人に慣れているらしい。そっとしゃがんで手を差し出せば、甘えるように瞳を細めて擦り寄ってきた。ふかふかの毛並みが心地いい。痩せてもいないし、きっと誰かが餌付けしているのだろう。


「ごめんね、何も持ってないの」


小さな頭を撫でながら、来世はこんな風になりたいなあ、とぼんやり考える。いろいろ不便だとは思うけれど、無条件に可愛がってもらえる姿はとても魅力的だ。素直に甘えられて、好きな人の膝の上で眠るだけの人生。なんて退屈で、幸せなことだろう。


「いいねえ、君は」


真ん丸な瞳が、私を見上げる。


「私も君みたいだったら良かったな」
「猫になりてぇのか」


唐突に降ってきた低音に、思わず体が強ばった。独り言を聞かれていたなんて恥ずかしい。
先程と同じように鳴いた三毛猫は、隣にしゃがんだ声の主へと擦り寄る。相変わらず真っ黒な服に身を包んだ相澤が、煮干の入った袋を持っていた。


「……相変わらず猫好きなのね」
「まあな」


美味しそうにガツガツ食べる三毛猫を見守る眼差しが、随分と優しい。


この男とは、高校の時に知り合った。たまたま同じクラスで、たまたま席が隣で、それからずっと、腐れ縁のような関係が続いている。
人一倍努力家なところも、冷静に見えて情に厚いところも、なんだかんだ沢山見てきた。そういった中で、惹かれてしまった。もちろんこの気持ちは、伝えられないまま胸にしまっている。もう十数年くらいか。

未だに話せるだけで高鳴るこの鼓動は、彼への想いが健在であることを律儀に知らせてくれるけれど、なんだかなあ。


「ねえ、私もあげたい」
「ん」


差し出された煮干を受け取ると、茂みから黒猫が出てきた。匂いを嗅ぎつけてきたのか、それとも相澤が何匹も餌付けしているのか。まあ、十中八九後者だろう。その真っ黒な鼻先へ煮干を寄せてやれば、警戒することもなく食べてくれた。可愛い。

天気もいいし相澤もいるし、アニマルセラピーまで感じられて、人間でもそれなりに幸せ。


「今日はもう終わり?」
「いや、あと一限残ってる」
「そっか。先生も楽じゃないね」
「みょうじはどうなんだ」
「もう終わり。午前しか受け持ってないの」
「そうか。お疲れさん」


あたたかい陽気に包まれながらのたわいない話に、つい気が緩む。この季節はすぐに眠くなるなあ、なんて瞼を閉じれば、相澤の声がぼんやり浮遊した。うん、うんって、微睡みの中で適当に頷く。あれ、今私、頷いちゃいけないことに頷いたような……。

目を開けて、相澤を見る。


「お前、頷いたからな……」
「え」
「後で聞いてねぇとか言うなよ」
「え、待って、私今、」
「起きてた」
「……っ」


流れに任せて頷いてしまった彼の言葉を思い返した途端、せり上がった熱に顔を覆う。ちらりと寄越されたその視線は、どこか照れたように泳いでから戻ってきた。

back - index