ちょっと涼んでくる。そんな言い訳とともに、上着を羽織って体育館を出た。

部内の声が届かない、棟の裏側。朝から降っている雪はまだやむ気配がなく、灰色の空からはらはら落ちてきている。グラウンドも校舎も車も自転車も、見渡す限り一面の銀世界。なのに、胸の奥に鎮座するこのモヤモヤは、依然として黒いまま。

影山が入部してきて、正セッターを譲らざるを得なくなって、自分の非力さを痛感したあの日からずっと、こいつはここに居座っている。いっそ、影山が物凄く嫌な奴だったら、少しはマシだったかもしれない。凄い良い奴だから、きっと、こんなにも苦しい。


行き場のない苛立ちだったり、悔しさだったり、不満だったり。そんなものは、もう感じない。今溢れているこれはたぶん、ただの喪失感。大地や旭がいる位置に長くは立っていられない俺に対する、俺への罪悪感。

冷ややかな風が、肌を撫でていく。


「誰も、菅原にはなれないよ」


え、と発したはずのそれは、声にならなかった。

頬に触れるあたたかい温度に、慌てて振り向いた視界の中。カイロを手に笑っていたのは、クラスメートのみょうじだった。


「お疲れさま」
「………」
「そんな薄着じゃ風邪引いちゃうぞー」
「………」


驚きのあまり返事すら出来ないままの俺に、それでも嫌な顔ひとつせず隣へしゃがんだ彼女は、カイロを握らせてくれた。手のひらから伝わる温もりが、ひどく緩やかに広がっていく。じわり、じわり。まるで雪が溶けていくような、穏やかな速度。

ようやくフリーズから脱した喉を震わせ「ごめん、ありがとな」と、笑ってみせる。でも、みょうじの顔は曇ってしまった。「そんな風に笑わないでよ」なんて、まるで全部を見透かしたような言いぐさに、いったいどう返事をすればいいのか。何でかな。大地にすらバレていないはずの嘘は、真っ直ぐなその眼に映ってしまったらしい。


”誰も、菅原にはなれないよ”

みょうじの声が、脳裏でこだまする。


何をどう思って、そんな言葉を俺にくれたのか。尋ねようと口を開いた瞬間、ぐるぐる巻きのマフラーへ口元を埋めた彼女は「寒いね」と言った。慌ててカイロを返そうとしたけれど、これは俺が持っていなくちゃいけないらしい。


「たまにはさ、菅原にしか出来ないことを数えてみてよ」
「俺にしか出来ないこと……?」
「うん。結構いっぱいあると思うなー。菅原無しじゃ、生きていけないからさ。バレー部も、私も」


ふわり、ふわり。
驚きと嬉しさが、腐りかけていた俺をとても優しく包んでいく。からっぽな心いっぱいにあたたかい言葉を注いでくれたみょうじの頬は、ほんのり赤い。きっと、寒さのせいだけではないだろう。その意味に気付けないほど鈍くはない。でも、答えられるほどクリアな頭でもないから、今はどうか許してほしい。

すうっと黒いモヤに馴染むみょうじの存在そのものは、まるで、浸透していく雪のようにやわらかい。


冷ややかな風が肌を撫でて、思わずカイロを握った。寒さを理由に寄せられた小さな肩は、確かに俺を必要としてくれていた。

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