帰路へつくリカバリーガールへ「お疲れ様でした」と手を振って数時間。丁度事務処理が片付いた頃、扉が開いた。窓の外は既に暗く、生徒はとっくに寮へ帰っている時間だ。

誰だろう?

そう腰を上げかけた瞬間、ドサッと降ってきた肩への重みに心臓が跳ねた。反射で身構えて、けれどすぐに気付く。

聞こえてきた深い溜息、鼻を掠める柔軟剤の香り、触れている皮膚から移る低い体温や落ち着いた心音。それら全て、とてもよく知っていた。


「随分とお疲れですね。相澤先生?」
「ああ……」
「一声くらい掛けてくださいよ。ビックリしたじゃないですか」
「すまん」
「もうちょっとで顔面殴り飛ばすところでしたよ」
「それは勘弁してくれ」


小さく笑った吐息が肌をくすぐる。相変わらずぼさぼさの髪を撫でてあげれば、気が抜けたのだろう。ほんの少し増した重みに、先ほど頷いていたとおり、随分お疲れであることを悟った。こんな風に引っ付いてくるなんて、また珍しい。

コーヒーでも淹れましょうかと気遣ったけれど、私の肩口へ埋められたままの顔は横へ振られた。


「その体勢、しんどくないです?」
「……腰が痛ぇ」
「でしょうね」


仮にも百八十超えの男が、事務イスに座っている女の肩へ顔ごと凭れかかっているのだ。きっと直角か、それ以上腰が曲がっているに違いない。端から見れば、たぶんちょっと面白い光景だ。出来れば誰かに写真でも撮ってもらいたいけれど、あいにく保健医としてヒーローの体を痛めさせるわけにはいかない。

「ほら、顔上げてください」と促し、相澤さんが従ったところで立ち上がる。机上の書類を片付け、イスをしまい、ショルダーバッグを肩にかけると、大人しく待っていた長い指が絡められた。片時も離れたくないって感じの引っ付き虫加減に、つい笑ってしまう。


「この後、相澤さんとこにお邪魔してもいいです?」
「構わんが、逆にいいのか?」
「大丈夫ですよ。明日もお仕事でしょう?私の方が朝遅いですし、無理させたくありませんから」


こんな狭い保健室より、いつでも眠れる自室の方が落ち着けるというものだ。どうせまだご飯も食べていないだろうから、ついでに何か作ってあげよう。その前に。


「もう一回ハグ、しておきます?」


まだ疲れが滲み出ている彼へ、繋いでいない方の腕を広げてみせる。人間のストレスは、抱き締め合うことで解消されていくらしいと、どこかで見かけた。

相澤さんは瞳を丸めた後、いつものように口端で笑った。依然として手は繋がれたまま、見た目よりも強く優しい腕に引き寄せられ、胸元に埋まる。とくとくと全身に響く心音は、さっきよりも少しだけ速いような気がした。

back - index