ノートパソコンに向き合っている猫背を、ぼうっと眺める。室内に漂う静寂を横断するのは、キーボードを叩く音。

会いに行ってもいいかってお伺いに了承してくれた消太くんは、さっきからずうっと事務仕事に追われている。寂しくはない。いつものことだ。消太くんのベッドで消太くんの背中を眺めながら、消太くんの視線をひとり占めしている四角い液晶が閉じられる瞬間を、ただ、じいっと待つ。

辛くはない。当然、苦しくもない。部屋に入ることを許されるのは私だけであることを知っているし、仕事中でもこうして傍に置いてくれるのは、私の要望を出来るだけ叶えようと善処してくれている証だ。それは、今にも瞼が落ちてしまいそうなほど穏やかな幸福であり、しめやかな愛情でもあった。


「眠いなら寝ていいぞ」
「ううん……大丈夫」


振り向いた消太くんは、冷めたコーヒーの香りが漂うマグカップへ口をつけた。小休憩、といったところだろうか。機械的な明るさは、あまり目に良くないと聞く。ドライアイが年々進行している彼にとって、きっと大きな負担になっているに違いない。

枕元の髪ゴムを指先へ引っ掛け、上体を起こした。驚かせないよう、そうっと触れたこめかみから髪を流し、後ろでひとつに纏めてやる。視界を妨げるものは少ない方がいいだろうと思った。消太くんの髪は、見た目にそぐわず柔らかい。


ふ、と空気が揺れて、小さな笑みとともにこぼされたお礼が私の体温を上昇させていく。その低音の心地よさは、他の何とも形容しがたい。鼓膜にすうっと馴染んで、とてもゆるやかに胸の中へ着地するのだ。ただそれだけ、たったそれだけで、何度も恋に落ちてしまえる仄かな自信を胸に微笑む。


「あとちょっと?」
「ん、悪いな」
「謝らないで。待ってる時間も好きだよ」
「そうか」


再び小さく笑った消太くんの、案外逞しい腕が伸ばされた。珍しい動作を目で追う。私の髪をひと撫でした、少し冷たい手。すっかり湯冷めしてしまったのだろうそれは、あぐらをかいている彼の脚を叩いて示した。


「おいで、なまえ」
「……いいの?」
「ああ」
「私、そんなに軽くないよ?」
「俺からすりゃ、猫と変わらんよ」


嬉しいとは思うものの、この歳になって膝へ座るだなんて、なんだか恥ずかしい。
そう躊躇っていると、両腕を広げた消太くんに「ほら、おいで」と再度呼ばれ、おずおず腰を上げた。せっかくの申し出だ。それに、本当は何もかも全部振り切って飛び込んでしまいたいほど、とっても嬉しい。

それでも頑なに消えない気恥ずかしさを抱いたまま、いそいそ近寄る。私をきゅうっと抱き込んだ優しい体温は、待たせている側であるはずなのに、まるで待ち侘びていたかのようだった。

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