これっぽっちの狂気



最後に青空を見たのは、いつだったか。暗く閉ざされたコンクリートの箱の中。もう随分と長い間ここにいるようで、実際はそれほど経っていないのかもしれない。分からない。無機質なこの空間では、時間の流れも月日も分からない。いろんな感覚がすっかり麻痺してしまったのか、最近では、ご飯を運んできてくれる彼と少しだけ言葉を交わすことが、楽しみになりつつあった。

静かに、扉が開く。


「こんばんは」
「……まだ昼だ」
「そう。お昼ご飯?」


短く頷いた彼は、テーブルへお盆を置いた。

切れ長の冷たい瞳。短い黒髪。特徴的な眉。白い手袋に黒いワイシャツ。口元を覆う黒いマスクのせいで、表情はあまり窺えない。

計画遂行の為に必要な人間。以前聞いたそんな言葉から察するに、私をここへ閉じ込めているのは、きっと複数人で形成されている組織なんだろうけれど、私は彼しか見たことがなかった。


「ねえ、あなたのお名前は?」
「……」
「私、なまえって言うの」
「……知っている」
「そう。呼んでくれたっていいのよ?」
「呼んで欲しいのか?俺に」
「ええ。結構好きなの、あなたの声」
「……何を企んでいる」
「別に何も。ただ、話がしたいだけ」


寂しいの。

お箸を握ることすら億劫な腕を垂れ下げたまま、微笑む。


名前が知りたい。その低音を出来るだけ長く聴いていたい。傍にいて欲しい。ここにいて欲しい。彼の瞳に映っていたい。話がしたい。別に青空がなくたっていい。食事の間だけ灯される人工的な明かりすら眩しく感じるようになってしまったこの瞳では、きっともう太陽なんて見ていられない。だからもう、外は恋しくない。ただ待ち侘びるのは、名前も素顔も知らないあなただけ。

いろんな感覚は、もうすっかり麻痺してしまった。

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