今世紀最大の贅沢



買ってみたけど、合わないからあげる。

そんな理由で、他校の友達から譲り受けたチークは、赤とピンクが混ざったような可愛らしい色味だった。付属のブラシで、ハートを描くように頬へのせる。途端にふわりと広がったのは、甘やかないい香り。さすが、デパートに売っているコスメは質が違うらしい。


白い肌、パッチリとした瞳、茶色いマスカラで伸ばした睫毛、淡い色合いのアイシャドウ、控えめなリップ。

本当に、メイクっていうのは魔法だ。ご無沙汰だった友達が、いつの間にか可愛くなっていたことにも頷ける。
普段はスキンケアと眉毛くらいしか手をかけない私も、これで少しは可愛くなれただろうか。
鏡の中に映るピンク色の頬に、自然と笑みが浮かぶ。


「気付いてくれるといいなあ」


もちろん、贅沢は言わない。雰囲気変わったなとか、今日は何か違うなとか、そんな程度でいい。少しずれている彼のことだから、きっとそれが、期待出来る精いっぱい。


いつもの制服に袖を通す。

今日は日曜日だけど、ミッドナイト先生が特別に午前補講をしてくれると言うので、参加することになっていた。私が行くならと挙手した轟くんを迎えに、エレベーターを降りる。男子棟に来るのは久しぶりだなあ、なんて思いながらお目当ての扉をノックすれば、すぐに開いた。


「おはよう」
「はよ」


じ、と降ってくる視線に、ひっそり高鳴る鼓動。何度引き締めても緩んでいく頬が、どうしたって抑えきれない。
誤魔化すように笑ってみせれば、端整な顔立ちとオッドアイが迫ってきて。

こつん。
驚く暇もなく触れ合ったのは、額。

顔が近い。近いよ、轟くん。どうしたの。私の思考回路はショート寸前だよ轟くん。あ、睫毛長いね。じゃなくて。


「と、轟くん?」
「……」
「……、あの……」
「熱はないみてえだな」
「……うん?」


ゆっくり離れていった彼の意図が読めないまま、思考がフリーズする。

風邪気味だなんて言った覚えはないのだけれど、そんな風に見えたのだろうか。それほど厚着もしていなければ、コートもマフラーも持ったままだし、咳もくしゃみも、鼻水だって出ていない。


戸惑う私をよそに、形のいい眉を少し下げた轟くんは、どうやら本当に心配してくれているらしい。「無理するな」と、優しい手に頭を撫でられた。心配してくれるのは、もちろん嬉しくて有難いのだけれど。


「あの、私、元気だよ」
「そうなのか?」
「うん。とっても」


どうしたら、ちゃんと伝わるだろうか。
少し考えてから、その場で軽くぴょんぴょん跳ねてみせると、綺麗なオッドアイが丸くなった。


「そんなしんどそうに見えた?」
「ああ。いつもより顔赤ぇから……」


そう言って伸ばされた指先が、頬の上をなぞっていく。肌に残るのは、ひんやりした温度の筋。轟くんの体温が低いのか、それとも私の体温が上がっているのか。

顔が赤いと感じさせたのは、たぶんチークだった。もしかしたら、つけ過ぎたのかもしれない。一応鏡では確認したけれど、轟くんがこういったことに疎いことをすっかり忘れていた。


「ごめんね。これ化粧なの」
「そうか。良かった」
「心配してくれて有難うね」
「ん。何で化粧したんだ?」
「あー……、ちょっとだけでも、可愛くなるかなあ、って……」


小さく萎んでいく語尾を拾い上げたのは、驚いたように短く発せられた低音。
とても不思議そうに、きょとんとした彼の首が傾く。


「そんなことしなくてもみょうじは可愛いだろ」


少しの恥ずかしさと、嬉しさ。
胸が締め付けられて、ちょっと痛い。

人に興味なんてなさそうな轟くんが、顔を合わせた瞬間に顔色を見てくれて、心配してくれて、その上"可愛い"だなんて。こんな贅沢、一生味わえないだろうと思っていたのに、神様ってのは本当にいるのかもしれない。

本気でそう思えてしまうくらい、胸がいっぱいいっぱいで、破裂しそうだった。

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