きっと素敵な未来の為のシナリオ
炬燵を共有する右隣。持ち上がった濃紫がこちらを向いた数瞬後、その眦がやわらいだ。
狗巻くんは目が合うと、未だこうして微笑んでくれる。たぶん癖づいてしまったのだろう。私がまだ入学したての、呪術師としてあまりに未熟だった頃。現場の恐怖や不安に打ち勝てず、仲間の顔を見ては安心していた時期があった。皆がいる、皆も同じ、誰も怯んでないでしょ、って。今から乗り込むぞって時にチラチラ目が合うクラスメイトは、さぞ鬱陶しかっただろうと思う。それでも嫌な顔ひとつせず、いの一番に気付いてくれた。時間があれば「ツナツナ」と背中をぽんぽんしに来てくれた。どんな時だって、狗巻くんは優しかった。もちろん手を振ってくれたり首を傾けるだけってこともあったけれど、三分後には死んでいるかもしれない世界で、何よりの救いだった。
今もそう。嬉しいし感謝してる。でも、ちょっと苦しい。笑みを返せば返すほど、心臓の端っこがちりちり焦げていく。
きっと私だけだって自惚れることが出来たら。たったそれだけの錯覚で今日も滞りなく息が出来るような女だったら、どんなに良かったか。あいにく、そこまでお調子者にはなれない。勘違いも出来ない。狗巻くんは分け隔てなく、誰にだってとても優しい。私も、その中のひとりに過ぎない。
「もう大丈夫だよ」
「すじこ?」
「いつも目が合ったら笑ってくれるでしょ?」
「しゃけ」
「私も色々強くなったから、そんなに気遣ってくれなくていいよ。狗巻くんには及ばないけど、もう二級だし」
ありがとねって微笑む。精一杯だった。特別になりたくて、彼の唯一になりたくて、私だけが良くって。でもそんなのなれっこないって分かってる。家柄も呪力も性格も容姿も、決して自慢出来たものじゃない。だからせめて足手まといにならないよう、狗巻くんが私を気にかける必要がないよう、この心が全部爛れて散ってしまう前に一歩引いた。
我ながら上手く笑えたと思う。別に仲良しこよしが終わるわけじゃない。今まで通り、良きクラスメイトであり仲間であり友達。何も変わらない。私にとっては一種のけじめでも、彼にとっては単なる雑談と同等。だからいつもみたいに、しゃけしゃけ、って頷く明るい声を待った。
三秒、五秒、十秒――……。
やけに大きく聞こえる秒針。脈打つ鼓動。漂う沈黙を背に、じいっと私を見つめ続ける濃紫が二つ。
なんとなく逸らしてはいけない気がして、瞬きだけに留める。どうして何も言ってくれないのか。何か気に障ってしまったか。ううん、違う。彼はそんなことで怒ったりしない。もし怒ったなら、こんな風に黙ったまま見続けたりしない。眉を吊り上げたり眉根を寄せたり、ちゃんと怒る。
きっと探っている。私の言葉の裏側、透けて見えない本心を。知ってしまったが最後、どうしたって困るのは狗巻くんの方なのにね。全くもって優しい人。その優しさが時に凶器へなり得ることを知らない人。
「……そんなに見ないでよ」
笑い混じりに吐いた声は、情けなくも震えた。鼻の奥がツンとして目が熱くって、意識的に動かした口角は全然上がってくれない。今が踏ん張りどころなのに、もう散々。滲んでいく視界。
瞠目した狗巻くんは炬燵から足を抜いて、すぐ隣まで寄ってきた。大きな手が背骨に沿って上下し、ぽんぽんとあやす。「高菜」と囁いたそれは思わず笑っちゃうくらい穏やかで、宥めるようにも呼んでいるようにも聞こえて。
「ごめんね急に」
「おかか」
「なに、謝っちゃダメ?」
「しゃけ」
頷いた狗巻くんは、いつもみたいに微笑んだ。それから「こんぶー」とスマホを取り出す。ちょっと待ってってことかな。おにぎりの具ではイエスかノーか程度の簡単な返答くらいしか汲み取れない私のことを配慮して、骨張った親指が文字を打ち込んでいく。
見えるように傾けられた画面には、
『好きでやってるから大丈夫』
そうじゃないんだよって心の中で首を振りながら「有難う。優しいね」と苦笑する。だって言えなかった。狗巻くんのためと見せかけて実は九割九分自衛です、なんて言えるわけがなかった。
けれど思っていた反応と違ったのだろう。再び親指を動かした狗巻くんは改行を挟み、そのままぽちぽち文字を追加した。びっくりして顔を跳ね上げれば「……ツナマヨ」って、ちょっと照れくさそうに目を逸らされた。
『なまえにしかしてないししない』