時として傷痕が愛のように
女がいくらいてもよかった。わたしが一番愛されている。わたしと過ごしている時は、わたしだけを見てくれている。そう錯覚させることが彼は上手い。わたしのことをわたし以外の名前で呼ぶようなヘマはしないし、誰かと比べることもない。甚爾は賢く、そしてずるい男だった。
だから上手くいっていた―――というよりは、他の女に嫉妬するほどわたしは彼が好きじゃなかった。愛されている状態そのものに酔っていて、たまたま甚爾がかっこいいから心地がいい。べつに甚爾じゃなくたって、甚爾と同等の顔と距離感と扱い方を心得ている男であるなら誰でもいい。わたしはそんな醜い女。そうだと思っていた。結婚話を聞くまでは。
「結婚? 甚爾が?」
「ああ。まあ籍入れるだけだけどよ」
「……そう」
「だからここにはもう来ねえと思う」
わりぃな。誰に向けて言っているのか判然としない、空気のような謝罪が目前で浮遊する。甚爾の言葉はわたしの鼓膜を目指していない。だからちっともぜんぜん頭に入ってこない。真っ白だ。わたしの心がさびしがっているのかどうかもわからなければ、悲しみだって汲み取れない。ただ、ちゃんと別れを言える人なんだ、と思う。
今まで甚爾が現れない日は何度もあって、よそでお世話になっていることくらい知っていた。でも、さようならはいつもなかった。またな、じゃあな、挨拶なんてその程度。わたしの肌から水分を得た片手を振って、街に吸い込まれて消える。雲というより、黒い煙みたいな人。一緒に過ごした時間は全部、幻だったかもしれない。でも次がある、また会える。また愛される、愛してくれる。根拠もなにもないけれどベッドに残るにおいだけはあたたかく、それが日々の当然だった。
なのにもう、甚爾はわたし以外の一番を決めたらしい。じゃあわたしは、甚爾以外を見つけなきゃ。もっと優しくかっこよく、もっともっと甘い男を探せばいい。甚爾よりも愛してくれて、甚爾よりも宝物みたいに可愛がってくれる人。甚爾よりも、甚爾以上に――……。でもそれで、わたしは幸せなのかな。この先甚爾よりも素敵な男に愛されたとして、わたしはちゃんと酔えるかな。素敵な彼との暮らしの中に、甚爾の姿を探してしまわないかな。
「好きだったよ、わたし、甚爾のこと。最後だから言うけど」
「……」
「甚爾だからよかったよ」
目を逸らさずにいた彼は、古傷が目立つ口の端でふっと笑った。なんだか嬉しそうでいて、呆れているようにも見えた。
「ありがとな」
ああ、ちゃんとお礼も言えるんだ。そんな素直なありがとう、たぶん初めて聞いたよ。
「おまえは幸せんなれよ、なまえ」
「ありがとう。甚爾も幸せになるんだよ」
「……じゃあな」
「うん。ばいばい」
きっと本当に最後だから、これまでの全部きれいな思い出に塗りかえて、あなたは去っていくんだね。ひょっとしたら婚約者よりも一番だったかもしれない、ずっと愛していたかもしれない、わたしのために―――。