もう見ないふりはさせない



いち早く私の異変に気付くのは、いつだって変な寝癖がトレードマークのこの男だった。
「何かあっただろ」って隣の席に座っては、意地悪を具現化したような笑みばかりを象るその口端を上げてみせる。そうしてお決まりの頬杖をついて、顔を覗き込んでくるのだ。

何もないって突っぱねても、余程のことがない限り、腰を落ち着けた誰かさんの席から動くことはない。「まあまあ話したら楽んなるかもよ」って面倒見のいい言葉を耳にすることは、今まで何度もあった。普段は他のメンツに混じって掃除用具でバンド結成しているようなアホなのに、この時ばかりは、まるで聞き上手なお兄ちゃんみたいで少しだけ見直す。


「……フラれた」
「だろうなと思ったわ。今回は何ヶ月?」
「一ヶ月ちょいくらい」
「また短ぇな。理由は?」
「……なまえさ、俺のこと好きじゃないよね」
「うわ、見事にいつも通り」
「まあ実際そんな好きじゃないから良いんだけど……三ヶ月以上続かないって萎えるよね」
「ドライだもんなお前」
「はあ……世の中の女子全員がメロメロデレデレだと思わないで欲しいわー……」


長い溜息を吐きながら、机に項垂れる。
頬から伝わるひんやりとした冷たさが、なんとも心地いい。

傷心といえるほど好きだったわけでもなければ、断る理由を探せずに応じただけの恋人関係だったけれど、だからと言ってダメージが無いわけじゃない。むしろそこそこある。フラれたことに対してではなく、ありのままの私を好きでいてくれる人なんていないって経験がどうも痛い。好きかどうか分からないから好きじゃないなんて、馬鹿にするのも大概にして欲しい。

何をどう勘違いして告白してくるのか気が知れないが、元々人に尻尾を振るタイプではないのだ。恋ってどんな状態なのかも正直分からない。今まで何人かと付き合ってはきたけれど、別れを切り出されて、あっさり頷いてしまえるほどの感情しか抱いたことがなかった。縋るほどの価値を見い出せない、とでも言えばいいのか。随分高慢で嫌な女のように聞こえるけれど、そもそも別れを切り出される時点で、相手にとっての自分の価値など所詮その程度だ。尽くすだの何だの、ハッキリ言って面倒くさい。


「もうアレじゃね。私好きになりませんってプラカードさげとけばいいんじゃね?」
「それ名案だね。ワースゴイ、サスガ黒尾クン」
「ワー馬鹿ニサレテルー」
「何かそんな感じで喋る梟みたいなやつあったよね」
「……モルスァ」
「ふっは、それそれ」


少し考えた後の、素晴らしい再現度合いに思わず吹き出した。どこから声出てんのってくらいのそれに自然と漏れた笑いが、負の感情を払拭する。

顔を上げれば、比較的穏やかに凪いでいく私の胸中を察することにも長けている黒尾が「いつものお前んなったな」と笑った。
ほんと、いつもこんなどうしようもない女の面倒なんか見ちゃって、ご苦労なことだ。


「世話焼き」
「お前と研磨限定だっつの」
「えー…孤爪くんは分かるけど」
「分かんのかよ」
「だって可愛いし」
「お前も可愛いだろ」
「お世辞どーも」
「いやこれ結構マジ」


予想の斜め上を突っ走った返答に喉が詰まるや否や、ずい、と寄せられた顔。
やる気が微塵も感じられない三白眼に視線を奪われ、なるほど、女子が騒ぐだけのことはあるかな、なんて思ってしまうあたり、黒尾が言うような可愛さとはやはり程遠いように思う。


「全然動じねえのな」
「…まあ、ちょっとビックリしてるくらい」


そう、ビックリはしている。
あまり上手く言葉が浮かばない上に、指先一本動かせないくらいには固まっている。

バレー以外で真剣な声を聞いたのは初めてで、まさかこんな試すような真似をされるとは思ってもみなかったし、ましてや、マイナス面をすべてさらけ出している彼の目に、自分が女として映っているだなんて想像もしなかった。


不服そうに瞳を細めた黒尾は、けれど、何もしないまま身を引いた。
カタン、とイスが鳴る。


「次はキスすっから、ちゃんと反応考えとけよ」


ひらひら振られる手。振り向くことなく廊下へと消えていく背中が見えなくなって、固まっていた思考がじわじわ溶け出す。

別にあのままキスしてくれても良かったのに。そんなことを思ってしまっている自分に気が付いて、初めて鼓動が大きく揺れた。