ほら、夏の匂い



蝉の声が、鼓膜を突く。

じっとり汗ばんだ肌。今にも張り付きそうなTシャツの裾を掴み、ぱたぱたはためかせながら熱気を追い出す。あいにく制汗剤は部室に忘れてきてしまった。暑い。アイスが食べたい。クーラーの効いた部屋でぼーっとしたい。出来るだけ涼しいことを考えながら、背を伸ばしがてら空を仰ぐ。絵具でベタ塗りしたような青色にお似合いの、白い入道雲。燦々と降り注ぐ陽射しを手で遮れば


「みょうじ」


背後で、岩泉先輩の声がした。


腕に引っ掛けてあったカゴを軽々とさらっていった彼は「一人でやんねーで誰か引っ張ってって良いんだぞ」と、大量の空ボトルが入ったそれを四歩先の洗い場へ置いた。蛇口を捻ると同時に流れた水音が、少しだけ暑さを退ける。がしゃがしゃボトルが擦れる音。日に焼けた一回りも二回りも大きな手から目が離せない。お世話になりますって挨拶をした一週間ほど前からそう。ずっと変わらない等身大の優しさに、胸がとくとく。

部員の邪魔をしないようこっそり体育館を出た私に気付いてくれるのも、暑い中追いかけてきてくれるのも、自発的に手伝ってくれるのも、いつだって岩泉先輩だった。もしかしたらコーチの姪だからってだけの理由かもしれない。あるいは他のメンバーに押し付けられているだけかもしれない。それでも、私が潰れてしまわないように気遣ってくれることがひどく嬉しかった。なんだかこそばゆくて、あったかい浮遊感。


「いつもすみません」
「いや俺らが頼んでる側だし、むしろ任せっぱなしでわりぃ」
「いえ、とんでもないです」
「男ばっかでやりにくいだろうけど、遠慮しねえで良いからな」
「有難うございます」
「おう」


カゴを挟んだ反対側。同じようにボトルを濯ぎながら言葉を交わす。ずいぶんと普通に話せるようになった。最初はたどたどしかった岩泉先輩の声も、もう吃る様子はない。

きゅって蛇口をしめる。流水音が止まる。

もう一度「有難うございます」と向けた視線は、眩しいくらいの笑顔に捕らわれた。青い空が、良く似合っていた。