38℃
夕陽が射し込む、誰もいない体育館。
綺麗に磨かれた床。ネットもボールもない、とても静かで殺風景な光景に、寂しさと名残惜しさが浮かぶ。
体育館って、こんなに広いんだなあ。
そんなことにすら気付かないくらい、いつも誰かがコートに立っていて、私はそれをずっと見守っていたのだと知る。
慣れるまでは大変だった。
全然知らない用語から始まり、ルールを勉強して、ドリンクの作り方やタオルの準備を覚え、時にはレモンの蜂蜜漬けを差入れしながら、一人一人と向き合っていく。チームをサポートする立場がどれだけ大変か、身をもって体感したこの二年と少し。
勝って喜んで、負けて泣いて。
まさに青春を駆け抜けていた情景が、何度も何度も、浮かんでは消える。
楽しかった。上辺なんかじゃない、本当の意味での仲間を知って、きっと学生の内しか体験出来ないだろう幸福に浸っていた。
私をマネージャーに誘ってくれて、いつも支えてくれた彼には、いくら感謝したってし足りない。
「有難うね、岩泉くん」
振り向かなくたって分かる。
何度も聞いてきた足音。もう、鼓膜が覚えてしまったそれは、彼のもの。
びっくりしたのだろう岩泉くんは、少し遅れて「おう」と返事をした。そうして、私の隣に並ぶ。
「誰もいねえと広いな」
「私もさっき思った」
「寂しいのか」
「…ちょっとだけ」
思い出が詰まったこの場所に来ることは、きっともう、そんなにない。皆が揃うことも、プレーしている姿を見守ることも、こうして岩泉くんと会うことも、きっと。
ほんの少しの強がりとともに、溢れそうな切なさを押しとどめる。
岩泉くんは寂しくないんだろうか。ほかの皆は、まだ誰かに囲まれているんだろうか。及川くんなんて、もうボタンというボタンが全部なくなってそうだ。
そういえば、と彼のブレザーへ視線を向ける。岩泉くんのファンも多いから、てっきり綺麗になくなっているだろうと思っていたボタンは、けれど、全て定位置にあった。
「…ねえ」
「ん?」
こちらを向いた岩泉くんに笑ってみせる。
勇気は出なかった。
ボタンが欲しい、なんて、そんなの告白と変わらない。そもそも、ボタンがそのままだということは、今日一日断ってきたのだろうと思う。嫌がられてしまうより、綺麗な思い出のままで終わらせた方が、きっと良い。
「呼んでみただけ」
視線を戻して、また、視界に広がるのは橙色に光る体育館。
思い出と一緒に、マネージャーである内は決して表に出せなかったこの気持ちも、素直に置いていこう。そうしたらこの後の打ち上げで、心の底から笑えるはずだ。
金田一くんは泣きそうだなあ。なんてぼんやり考えていたら、ふわりと起きた風。
肩に掛けられた微かな重みに包まれて、少し強引に私を引き寄せたぬくもりに、頭がついていかない。
「欲しいもんはちゃんと言え。やるから」
ぎゅう、と抱き締められて、心臓が痛い。
私の体温と、それを包む大きなブレザーに残る岩泉くんの体温と、岩泉くん本人の体温が混ざって、体が熱い。
驚きと、緊張と、戸惑い。
壊れそうなほど大きく脈打つ鼓動が鼓膜を覆って、思考回路が火花を散らす。
「みょうじ」
促すように名前を呼ばれ、余計に真っ白になった頭の中に浮かぶのは、私が欲しいもの。無意識に伸ばした手で、彼のシャツを握る。
「ボ、タン」
「ん」
「あと、い、わいずみ、くん…です」
恥ずかしさに、再び上がった熱。
必死にうるさい心臓を宥めながら、なんとか落ち着こうと、かたく目を瞑る。暗い視界の中、たった一言「好きだ」と落とされた岩泉くんの声に泣かされた。