恋色占有率



午前の授業が終わり、さあご飯だと購買に向かおうとしたら、机を叩かれた。イジメじゃない。単なる及川ファン。マイフレンド。


「今から及川くん見に行かない?!」
「…どしたの急に」
「今日練習見に行こうと思ってたのに急にバイト入っちゃって…だから今見ようと思って!」


うん。だから、の意味が全然分からないよ。どうやら一日一回は及川くんを見ないと気が済まないらしい。
どこまで行くのかと聞けば、五組だと言う。

五組かあ。岩泉くんのクラスだなあ。


「いいよ、行こ」
「まじ?!神!!!」


全力でよしよしされたせいで乱れた髪を適当に直し、彼女の後ろをついていく。
お昼が終わってしまうのは避けたかったので、先に購買へ寄ってからそろって五組に向かった。


入口の時点で、もう彼女が卒倒しそうな勢いで静かになったから、目当ての彼が教室内にいることはすぐに分かった。と言うことは、たぶん、なかばセット扱いになっている岩泉くんもいる筈。

扉のところで止まっている彼女の横から顔を出す。
後ろの方にかたまっているのがバレー部だろう。同じクラスでそこそこ話す花巻の頭が分かりやす過ぎる。ああ、でも、部内で集まっているならきっと邪魔になるなあ。

少し端に寄って眺めている彼女よろしく、ここで大人しくしていようかと身を引いた時、岩泉くんと目が合った。
そうして花巻と及川くんと、もう一人天パっぽい人が振り向く。瞬時にニヤけた及川くんに名前付きで手を振られ、更に花巻にまで呼ばれ、教室内の視線がわたしに向けられた。バレー部おそるべし。

顔の前で片手を立てた岩泉くんに苦笑いを返し、驚きでかたまっている彼女を連れて教室に入る。
まさかわたしが憧れてやまない及川くんと顔見知りだったなんて思いもしなかっただろう。ごめんね。及川くんと喋るチャンスをあげるから許してね。


「どした?ここに来るなんて珍しいネ」
「付き添いだよ」


目線で彼女を示せば、花巻は納得したように頷いた。
とりあえず「昨日ぶり〜」って笑顔を振りまいてくれた及川くんに「昨日話してた及川くんファンの子」と差し出す。及川くんは話し上手だから、緊張でガチガチでも大丈夫だろう。


「みょうじ」


不意に聞こえた岩泉くんの声に顔を動かせば、わたしの分を引っ張ってきてくれたのか、彼の隣にイスが用意されていた。
良かった。立ち食いしなくて済みそう。


「ありがと」
「おう」


遠慮なく座らせてもらってビニール袋から菓子パンを取り出す。花巻がニヤついていたけど見なかったことにした。

そんなことよりも。


「バレー部でいるのにごめんなさい」
「いや、全然デス」
「大丈夫大丈夫」
「謝ることねえよ」


及川くんと彼女を除く三人に謝ると、そんなあたたかい返事が寄越された。初対面の天パの人までニッと口角を上げてくれたものだから、バレー部はきっと良い人の集まりなんだと思う。
聞けば、彼は一組の松川くんと言うらしい。はじめまして、と軽く頭を下げ合った。特徴的な眉毛が印象的だ。


「それにしてもお前、ただの付き添いで良くここまで来たネ」
「え、どう言う意味?」
「言い方アレだけど、連れションとかしないタイプじゃん」
「ああ、岩泉くんいるかなって思って」
「なに、じゃあみょうじは岩泉を見に来たわけ?」
「うん」


いてくれて良かった、と隣の岩泉くんを見ると、水の入ったペットボトル片手に噎せていた。どうしたんだろうか。
とりあえず丸められた背中をさすってやると、数回咳き込んで「わり、大丈夫」と軽く制されたので手を下ろす。


「…なんか意外」
「俺も」


さっきまでのニヤついたそれとは違う、言葉通り、意外そうに目を丸める花巻と松川くんに疑問が浮かんだけれど、今はお腹の虫が鳴らないように胃を満たすことが先だ。

横目で確認した彼女は、漸く緊張が解けてきたのか楽しそうに話している。
元々フレンドリーで明るい性格だから、きっと及川くんも嫌いじゃないはずだ。わたしに彼の完璧な営業スマイルを見破ることは出来ないけれど、それでもそこそこ楽しそうで安心した。

わたしはあんな風に次から次へと話をすることが得意ではないから、岩泉くんの隣が丁度いい。彼のペースは嫌いじゃないし、彼との沈黙は不思議と心地いい。
昨日、たまたま送ってくれた帰り道で知った。


「そう言えば昨日、大丈夫だった?」
「ああ。駅近くてビビった」
「駅近が売りだからね」
「だろうな」


同意した岩泉くんは、噎せて飲めなかったのだろう水を煽る。男の子特有の喉仏が上下した。わたしは食べる作業に戻る。


こんな短い間に色んな人と話して初めて気付いたけれど、花巻や松川くんが話すよりも何となく、本当に何となく、岩泉くんと話す方が落ち着くのは声のせいだろうか。
少しガラついた、そんなに低くはないけれど、決して高くはない音。この騒がしい教室内でも、鼓膜が一番に聞き入れるのは彼の声だとさえ思える。

スッと馴染んで、響いて、落ちる。
ストンッと胸の底に収まる。

不思議。岩泉くんの隣にいると、新しい発見が多い。わたし自身が、それほど人に関心がなかったせいかもしれない。

本の入ったダンボール箱を運んでいたわたし。ぶつかった岩泉くんと、その隣にいた及川くん。お詫びにと図書室まで代わりに運んでくれた二人。


『俺ね、みょうじさんのこと知ってるよ』
『え、なんで?』
『岩ちゃんがずっと見てたから』


照れくさそうに眉を吊り上げた岩泉くんが及川くんを叩いたあの時から、少しずつ、わたしの思考は岩泉くんで埋まっている。


「岩泉くんとみょうじさんは、いつの間にそんな仲良くなったんデスカ」


苺ミルクのストローをくわえながら花巻がにやりと口角を上げる。どうせ茶化したいだけだろうのに、岩泉くんは律儀にちょっと前と返した。わたしもそれに便乗する。


「岩泉がナンパしたの?」
「ちげーよ」
「荷物運んでくれたの」
「あー、あの本入ってるやつ?」
「うん」
「で、重そうだから持ってあげたと。いやー岩泉くんも隅に置けませんネ」
「…ぶつかったからな」
「で?」
「は?」
「や、その後」


ほれほれ、と言わんばかりの花巻は随分と楽しそうである。
対する岩泉くんは「何でてめえに一から十まで教えなきゃなんねえんだ」と眉間にシワを寄せていたので「プライベートだよ花巻」ってやんわり助け舟を出しておいた。