湿った空と君と



雨の日は、猫みたいなクラスメートが体育館にやって来て、二階でうたた寝をしながら俺の部活が終わるのを待っている。
途中で雨がやめばいつの間にか居なくなっているから、たぶん用があるのは俺ではなく、俺の傘なのだろう。

彼女は自分で傘を持つことを嫌う。土砂降りの日でも濡れたまま歩いて帰るのだ。なんでも"両手が自由じゃないのは嫌い"とのことだった。良く分からん。
まあそんな奴だから、ずぶ濡れになっている姿を見つける度に俺の傘に入れて家まで送ってやっていた。
そのせいか、すっかり懐かれてしまったらしい。この間なんか、雨といえば岩泉、とまで言われてしまった。
別に良いけど、いい加減傘ぐらい自分で持ってもらいたいし、及川がニヤニヤしながら見てくるのも非常に鬱陶しい。でも、雨の日は嫌いじゃない。


「みょうじー」


体育館の床で丸くなっている肩を揺らす。冷たい身体。ずっとここにいたのだろう。ゆるりと動いた彼女が寝そべっていた床は、まるで体温を奪ったかのようにあたたかい。

眠そうに目を擦った指先が俺の指へと絡められる。寝惚けているのか、あるいは癖のようなものなのか。たまにこうして、ふとした瞬間に手を握られることがある。彼女からしてみれば特に意味はないのだろう。もしかしたらカイロ代わりなのかもしれない。それでも、こういった経験が殆どない俺は、毎回戸惑ってしまう。どうしていいか分からない、と言った方が正しい。別に嫌なわけではないので、結局いつも、彼女が離すまで好きにさせているのだけれど。どうしたものか。


「おい、帰るぞ」
「んー…」
「みょうじ」


名前を呼べば、こくりと頷いて立ち上がる。俺もそれに倣って、握られたままの手をやわく握り返した。
折ってしまわないか、といつも緊張する。男より何倍も細くて白くて小さくて傷のない手。そんなこと、彼女は気にもしていないのだろう。きっと、手を繋ぐだけで鼓動が早くなることもないのだろう。

体育館を閉める。

外気に触れた彼女が小さく震えた。そうして身体を寄せてくる。暖をとろうとしているのか何なのか。繋がれた手はそのままに、ピタリと寄り添われると歩きづらくて仕方がない。寒いなら寒いで上着を着てくるなり何なりすればいいのに、どうもカーディガン姿が気に入っているようで、俺のブレザーを貸そうかと提案したが首を横に振られた。

体育館の鍵を返す為に一旦手を離す。
時間が遅いとはいえ、誰に見られるか分からない。身内ならまだしも、変な噂が立つのはみょうじ的に嫌だろうと考えた結果だったが、彼女は不満そうに眉を顰め、結局俺の袖を掴むに落ち着いた。

本当に良く分からんが、まあさっきより離れた分歩きやすいし、勝手にフラフラされることもないだろう。そのまま彼女を引き連れて職員室に鍵を返してから帰路につく。雨は止んでいた。


「岩泉」


ふと名前を呼ばれて視線を動かす。随分と下にある顔を見下ろすことにも慣れたものだ。
彼女は横を向いたまま立ち止まっていた。視線の先にはコンビニ。


「…何か欲しいのか?」
「私じゃなくて」
「?」
「岩泉、欲しいものないの」


くるりと振り向いたアーモンド型の瞳が真っ直ぐに俺を見る。
意図がつかめないまま「まあ喉は渇いてっけど」と呟けばグイグイ袖を引っ張られ、ジュース売り場まで連れてこられた。
「好きなの選んで」と財布片手にみょうじは言う。奢ってやると言うことだろうか。別にそこまでして飲みたい訳でもなければ買ってもらうような何かをした訳でもないのだけれど、有無を言わさない目に負け、いつものスポーツドリンクへと手を伸ばす。
パタパタと駆けていったみょうじは、すぐに会計を済ませて戻ってきた。意外な行動力に思わず笑ってしまったのは言うまでもない。
礼を言いながら受け取って、一緒にコンビニを出ながらキャップを開ける。


「ちょっと頂戴」
「…ん」


一瞬、間接キスなんて言葉が脳裏を過ぎったが、相変わらずそういうことを気にしないみょうじは、嬉しそうに微笑んだ。心臓に悪い。