手始めに連絡先でもいかがですか



「傘、忘れたの?」


降りしきる雨にどうしたもんかと溜息をこぼせば、そんな声が聞こえた。ななめ下方向を見遣れば、今まで話したことのないクラスメート。接点と言えば、後ろの席になったことがあるくらいか。

辺りを見回してみたものの他に人の気配はなく、どうやら俺に向けられた言葉らしいと知る。


「降ってくると思わなくて」
「晴れてたもんね」


隣に並んだまま空を見上げたみょうじの手には、コンビニなんかで見かけるビニール傘。可愛いデザインや、濡れると模様が浮かぶような傘が目立つ中、女子にしては珍しい。

それにしても、俺なんか気にせず、そのまま帰ってくれてよかったのに、わざわざ声をかけてきたのはどうしてか。正義感が強そうなタイプには見えないし、何か思うところがあったのか、逆に何も考えていないのか。まあ、なんでもいい。


やみそうにない雨足は強くなる一方で、天気が回復する兆しはいっこうにない。そろそろ日も落ちてくる。


「暗くなる前に帰りなよ」


そう見下ろすと、みょうじもこちらを見上げた。「なんか先生みたい」と返され、苦笑する。一応健全な高校生男子なんだけどなあ。制服が似合わない見た目であることは自覚しているが、なんだか切ない。

視界の端でみょうじの頭が動く。


「また明日ね、松川」
「ん、気をつけてね」


手を振られるままに振り返せば、彼女はそのまま、雨の中を駆けて行った。
あれ、と思考がフリーズする。確かにビニール傘を持っていたはずなのに、もしかして幻覚だったのだろうか。

不思議な出来事に頭を捻ったが、考えても仕方がない。とりあえず帰ろうと足を踏み出した時、何かがタイルの上を擦ったような聞き慣れない音。
少し後ろを振り向けば、俺のスポーツバッグに、さっきみょうじが持っていただろうビニール傘が引っ掛かっていた。否、引っ掛けられていたといった方が、この際正しい。


「…風邪でもひいたらどうすんだよ」


みょうじが濡れるくらいなら、俺が濡れて帰る方がよっぽどマシに思えるけれど、たぶんみょうじは、そんな俺の性格を知っていたのだろう。女子に傘を貸されるなんて不甲斐ないが、みょうじの強引な優しさは素直に嬉しいとも思う。せっかくの好意をつまらないプライドで無碍にはしたくない。

何とも言えない心地のまま、それでも有難く傘を広げて帰路に着いた。





翌日。昨日の雨が嘘のように晴れた朝。
ビニール傘と、自販機で買ったあたたかい紅茶を持って、みょうじの元へと足を進める。
友達との話が落ち着いたところへ声をかければ「おはよ」と栗色の瞳がこちらを向いた。


「これ、ありがと」
「ああ、うん。大丈夫だった?」
「おかげさまで。後これ、お礼の紅茶。何がいいか分かんなかったんだけど飲める?」
「飲める飲める。ありがとね。次私も奢る」
「何でそうなんの」


案外変わった子なのかもしれない。
好感の持てる反応に思わず笑えば、みょうじも眉を下げて笑った。どんな子なのか今まで全然知らなかったけど、きっといい子に違いない。

貸してくれた理由を聞けば「だって、レギュラーが風邪引いたら大変でしょ?」なんて、さも当然のように言うものだから、なんかこう、仲良くなりたいなって興味がふくれた。