これを恋と呼ぶならば



きっかけは部長会議だった。言ってしまえば名前を書くだけのプリントが配られ、早めの提出を言い渡された帰り。このまま職員室に行くつもりだろう速い足取りを追って、広い背中を呼び止めたのだ。北の分も一緒に出しとこか? って。

その時初めて振り向いた彼の瞳が、大きく見開かれていたことを今でも覚えている。たぶんあれが、北が私を"みょうじなまえ"として認識した瞬間だった。

同じクラスとはいえ話す機会など殆どない。ましてや男と女、運動部と文化部である。お互い見覚えがある程度もしくは名字と顔が一致するくらいのもの。それがまさか、たった一度のきっかけを経てゆっくりゆっくり成長していただなんて、人生何が起こるか分からない。


「好きやねん、みょうじのこと」


話があると、わざわざ夕暮れ時の美術室まで来てくれた北はそう言った。落ち着いた様子だった。息を呑む私に比べ、眼差しも顔色も至って普段と変わりない。否、静謐さを纏った声色は少し硬いか。あの北が緊張しているだなんて考えにくいけれど、そんな雰囲気がそこはかとなく感じられる。

黙ったままの私に「いっぺん考えてみてくれへんか」と一歩引いたその瞳は、ただ私だけをそっと映していた。


「返事は直ぐやなくてええから」
「…うん。なんて言うか、ビックリしとー」
「せやろな。俺も言うつもりなかってんけど、もうすぐ卒業やし」
「そっか。有難う。言うてくれて」
「ん」


静かな表情からは期待も悲観も窺えない。ロボットみたい。いつだったか、教室で耳にした誰かの比喩を思い出す。けれど本当にそうだろうか。驚きから抜け出しつつある脳裏に浮かぶ北との時間はどれも柔らかい。決して無機質ではなく、不思議と息がしやすくて心地がよかった。愛想笑いも嘘も謙遜も、話を合わせる必要すらない空間はひどく優しかった。

好きかどうか、正直分からない。判断出来るだけの今までがない。ただ少なくとも一緒にいたかったし、傍にいて欲しいと思える人だった。


「ほなまたな。気ぃつけて帰りや」
「……待って、北」


あの時と同じ、広い背中を呼び止める。不思議。バレー部員の中では小柄に見えるのに、実際すぐ傍へ立ってみるとこんなにも違う。背が高くて肩幅があって、ちゃんと男の人。


「返事、今でもええ?」
「……」


見上げた先の瞳が、僅かに揺れる。