胸の中を差し出して



言ってしまえば、楽な生徒だった。家庭教師なんて要らないんじゃってくらい成績優秀で品行方正。まだ二年生なのに、強豪バレーボール部の副主将まで務めているというのだから驚きだ。

部活が部活なだけに当然ながら背が高く、落ち着いた風貌は、もしかすると私より大人びて見えるかもしれない。『勉強する習慣を身につけさせたい』ってことで親御さんから承ったけれど、彼ならたぶん、私なんかいなくたって自発的に取り組むし、そこそこ良い大学にだって行けるだろう。模試の結果も悪くない。


「なんか、凄いね」
「何がですか?」
「二年生の内から部活も勉強もって、普通嫌になると思うんだけど、そんな風に見えないから」
「嫌じゃないですからね」
「全然?」
「全然」


さらりと答えた京治くんは、ケーキ上のいちごにフォークを刺した。

母からです、とわざわざ出してくれたショートケーキは近所で評判なお店のもので、スポンジも生クリームもとっても美味しい。こんな形で食べれるなんて思いもしなかった。ちょろっと問題集を進めたくらいでご馳走になってしまっているけれど、彼の休憩時間だと思えば罪悪感もさほど湧かない。


「ごめんね。コーヒーまでいれてもらって」
「気にしないでください。いつも来て頂いてますし」
「もうほんと良く出来た息子さんで……」
「そうでもないですよ。美味しいですか?」
「とっても。頬っぺ落ちそう」
「良かったです」


涼し気な目元が、穏やかに細められる。室内の空気がほんのり色付いて、一瞬音が止んで、交わった視線が逸らせなくて。ただただ向かい側で綺麗に微笑む、自分より八つも下の男の子に見惚れる。先に動いたのは、形のいい唇。ついで、耳障りのいい低音が言葉を象った。


「部活は、好きでやってます」


瞳がゆっくり伏せられ、ケーキをもぐもぐ。喉仏が静かに動いて再び寄越された眼差しは、さて、どう表せばいいのやら。惹き付けられるような強さと、包むような優しさ。少しの不安。触れたが最後、火傷してしまいそうな熱。そんなものを柔らかく孕んでいて、ああなるほどって、察する。


「勉強は、なまえさんに喜んでもらいたくて頑張ってます」
「……うん」
「でも、頑張り過ぎて来てくれなくなると嫌なので、そこそこ手は抜いてます」
「うーん……それはダメかなあ」
「すみません」


ふ、と笑った京治くんに見つめられ、正直に高鳴り始めた心音が鼓膜を塞ぐ一歩手前。さすがにもう、純情な反応は出来ない。そんな歳じゃない。でも、言葉を探す時間は要らなかった。狡い言い方なら、幾らだって覚えていた。


「京治くん」
「はい」
「私、都合のいい先生だからさ」
「……はい」


浮遊しているような、酔わされているような、不思議な心地。

彼はまだ、これからいろんなことが待っている高校生なんだよって分かっているのに、じわじわ滲んだ熱に当てられて、どうしようもない。


「勘違い、しちゃいそうなんだけど?」


ほんの少し見開かれた瞳が、小さく揺らいだ。それでも躊躇いなく「してもらって構いませんよ」と紡いだその口角は、たぶん抑えきれなかったんだろう。至極嬉しそうに「俺、あなたが好きなので」なんて、緩められた。



title by 約30の嘘
【夢BOX/赤葦と家庭教師】