安上がりなぼくらの夜明け



私の地獄は、世間様が手を叩いて喜ぶ連休や長期休暇の少し前から始まる。サービス業の踏ん張りどころと言えば聞こえは良いが、実際問題、やはり"地獄"というワードがぴったりなストレス期間だ。部内はピリピリするし胃は痛いし肌は荒れる。満足に休憩だってとれやしない。

今日も今日とて、私に与えられた休息は十五分のお昼休憩だけ。朝から晩まで受話器とキーボードを行ったり来たり。いい加減何をしているのか分からなくなってきた終業間際。こりゃダメだって、席を立った。


お手洗い前にある、ちょっとした休憩スペース。磨りガラスの衝立に囲まれている簡易的な長イスには、幸い誰もいなかった。腰を落ち着けて、溜息とともに首の力を抜く。自然と俯いた後頭部に「生きてますか、なまえさん」と降ってきたのは、最近あまり耳にしていない穏やかな低音で、つい開きかけていた膝を慌てて閉じた。


「赤葦京治くん」
「何でフルネームなんですか」


ふ、と笑った彼は、動く気力すらない私に代わって、自販機で缶コーヒーを買ってくれた。有難うって、今財布ないから後で渡すねって、両手で受け取る。ほんの少し瞳を丸めた京治くんはゆるやかに微笑んで「これくらいご馳走させてください」と、隣に座った。


相変わらず気遣いの塊でしかない彼は、私が元々所属していた部署の後輩である。たまにこうして話したり、お昼に出掛けたり、二人っきりの時は名前で呼び合ったりなんかして。

たぶんお互いに、ちょっと良いなあくらいの、言ってしまえば曖昧な関係を保っていた。


プルタブをあけ、良く冷えたアイスコーヒーを喉へ流し込む。ほろ苦さが口腔に広がって、肩の力がすうっと抜けて。こんなに美味しいって感じるのは疲れているからか、それとも京治くんが隣にいるからか。


「大変そうですね」
「ほんと。何でこの時期に部署異動させたのか問い詰めたいわ……」
「なまえさんが出来る人だからですよ」
「体良く使われてるだけだよ……。でもありがと。そう言ってもらえると元気出る」
「じゃあ、元気出たついでに」
「?」


何だろうって顔を上げた瞬間。見た目にそぐわず、しっかり男の子な指先が視界に映った。私を驚かせないようにか、ゆっくりこめかみに触れたそれが髪を梳いて、頭を撫でていく。

まるで可愛がるように、慰めるように、労わるように、愛おしむように。とても柔らかな心地良さとともに数度行き来し、最後に私の後頭部をやんわり引き寄せた。ジャケットの固い生地が、額に触れる。ファンデーションつかないかなって冷静な頭と、爽やかな整髪剤の香りに高鳴る心臓。私を捕まえる大きな片手は未だ離れないまま、素直に甘えることを許容する。


「俺も元気にしてください」なんて。こんなことで元気になるなら、いつだって、幾らだって、私は――。



【夢BOX/仕事が忙しい時、赤葦がよしよしして慰めてくれる】