ゼロのおとなり
「ぜいたくだなあ」
日が傾きだした頃、なまえがぽつりと呟いた。俺の隣で俺の肩に凭れて指を絡めたまま。吐息混じりの声に厚みは殆どない。静かな部屋の天井になまえの声が浮かんで消える。まるで白い煙のよう。綺麗に見えて、その実、濁りを知っている。
「俺の部屋でただボーッとしとんのが贅沢なんか」
「うん」
好みそうなキーホルダーやアクセサリーを幾ら贈っても、女子共に人気のスイーツを食べに連れて行っても、ただ有難うと微笑むだけで特段喜ぶ素振りがない。
そんな女だから半分嫌味のつもりだったが、なまえは意に介さない様子で呆気なく肯定した。
毒気を抜かれた俺の指を薄皮一枚すり撫でていく。嬉しそうに、満足そうに、心底幸せだと言わんばかりに小さく笑う。テレビもつけず、音楽も流さず、どこに行くでもなく、どこかへ出掛けるでもなく、何をするでもなく。俺は退屈で仕方がないっていうのになまえはこれが良いらしい。
「不満そうだね?」
「べつに。今日はてめえの好きにさせるっつー日だからな」
「ジャンケンで負けたし?」
「うるせえころすぞ」
そう。俺はジャンケンで負けた。いや、そもそも勝とうが負けようがどの道なまえの好きにさせるつもりだったのだから、こうしている結果に勝敗は関係ない。俺の意思だ。ただなまえが唐突に思いつき、俺の返事を待つことなく早口でまくし立てるように最初のグーを出した。早い話がつられた。くそ。
「ふふ、イライラしてる」
「してねえ」
品の良い笑い声が鼓膜を揺する。やはり満足そうで嬉しそう。なまえが纏う空気は、いつも静謐を湛えながらただ淡々とそこにあるけれど、今はなんとなく軽い。ふわふわしている。
……まあ、たまにはこういう、何もしない日があってもいい。なまえが楽に生きられるなら、それに勝るものはない。