祈りの温度
お互い両親がいないうえ、一般人との交流だってないわけで。そしたら必然、結婚式に呼ぶのは呪術関係者。でも皆忙しい。ただでさえ不足している呪術師を、ひと所で抱いておくわけにはいかない。
そうなるとまず来て欲しいのは互いの恩師、五条先生。出張でむずかしいかもしれないけれど、父親代わりが務まるのは彼くらい。いや、務まるのか? 母親代わりは……家入さんになるのかなあ。なんだか想像できないな。花嫁として五条先生と家入さんに向けた手紙を読むなんて、いったい何を書けばいいんだろう。立派な呪術師になりました、これからも支え合って頑張ります、くらいが限界かな。
仮にも一級呪術師の端くれだ。いつ死んでも悔いがないよう日々生きている。有難うもごめんねも、その都度伝えて生きてきている。言い残しなんてない。新しい人生の門出に――ううん、それ以外の機会にだって、清算しなくちゃいけない過去はない。わたしがどこで産まれてどんな風に育ってきたか、何を選んで何を捨てて、どれを大事に繋いでいるか。わたしの全てを知っているのは、恵だけで充分だった。
じゃあその恵は、どうなのか。
「ねえ恵、結婚式どうする?」
「どう……ってなんだ」
ようやく揃って休みがとれた月半ば。ガムテープをべりべり剥がす音が止まる。手付かずのまま放置していた段ボール箱をふたりで片しているところ、振り向いた夜の色がわたしを映す。
「やるかどうかってことか?」
「そう」
「なまえは?」
「してもいいけど、しなくてもいい」
「どっちだよ」
「恵がしたかったらする。どっちでも良かったら、その分旅行に回したい」
どうやらちゃんと伝わったらしい。納得したように頷いた恵は、開封作業に戻っていった。
柔らかな無垢材のフローリングへ、ふたり分の愛読書が着地する。文庫本を大事に扱う手が好きだ。
「おまえ、ウエディングドレスは?」
「べつに着たいとは思わないけど……恵は?」
「は?」
「見たい? わたしのウエディングドレス姿」
「それどう答えても角立つだろ」
「大丈夫だよ。ちょっとした好奇心だから」
恵からこぼれた吐息は、重くて軽かった。まるで溜息のなり損ないみたい。失礼しちゃう。わたし、そんなことで臍をまげる女じゃないよ。
段ボール箱を折りたたみ、紐で縛ってはい終了。お疲れさま。労い代わりのコーヒーを淹れ、地べたにあぐらをかいている彼の隣へ持っていく。ゴミ出しは明日行ってくれるらしい。こういうところも凄く好き。時間の流れがゆるやかになる、恵との日々は心地がいい。
ダウンライトのオレンジ色に、白い湯気が溶けていく。ふたりで並んでまったりするのも結構好き。
「なまえ、さっきの話」
「ん?」
「ウエディングドレス」
不意に伏せっていた睫毛が持ち上がり、覗いたのは無言の眼。いつにもまして真っ直ぐな、コーヒー色をした視線。普段と同じ落ち着いた声に惹きつけられて、わたしの全てが恵ひとりに囚われる。
「俺は、おまえが後悔しない方がいい」
ああもうほんと、そういうところ。そういうところが一等好き。思いつつも口には出さず、頬が綻ぶままに笑う。ケツやタッパのデカさじゃない、恵らしい答えがあまりにくすぐったくて、いとおしい。
結婚式もウエディングドレスもいらないよ。ただこの安寧がずっとずっと続けばいい。ふたりだけの部屋と恵が、未来永劫、永遠になくならなければいい。
Thank's for clap
back