あなたを契る




ヤオモモちゃんには許嫁がいるらしい。由緒正しき八百万家に相応しい、それはそれは立派な男がいるという。先日お会いしましたの。ニキビひとつない陶器みたいな肌が、ぽ、と色づいて、その手のひらに隠された。ヤオモモちゃんは、ゆびの先までうつくしい。高校を卒業してからいっそうきれいになった。わたしたちの誰よりも。きっと恋をしてるから。


「そういえばなまえは結婚まだなん?」
「え?」
「爆豪くん、そういうん早そうやから」
「わかりますわ。以前からラブラブでしたし」
「俺のモノ感ヤバかったよね。いっつもなまえにくっ付いててさ」


そうかな。言いかけてやめる。お腹に触れたぬくもりが、花束を抱えるようなやわさでわたしを引き寄せた。

と、と肩裏が凭れた先。振り返らなくてもわかる。ニットの上からじわじわしみる体温も、鼻腔をぬけゆく香水も、ずいぶん厚みのある感触も、降る音も。


「誰が金魚のフンだコラ、クソ三下共」
「あら、噂をすれば」
「相変わらず眉間にシワ寄ってんねー」
「うるせえ。俺ァてめえらとだべりに来たわけじゃねンだよ」
「勝己」
「ん?」


寄りかかりながら頭上を仰ぐ。呼応するように同じ速度で俯いた、彼のおでこが狭くて可愛い。今は陰っているけれど、勝己の肌はヤオモモちゃんより透けている。ニキビだって全然ない。


「連れにきてくれたの?」


曲げた人差しゆびの背で、すりすりおでこを撫でてみる。眉間もついでに擦ると瞳が細まって、それからシワが薄らいだ。気持ちよさそう。


「切島くんたちはもういいの? 会うの、ひさしぶりじゃない?」
「いい。なまえ明日仕事だろ」
「そうだけど、大丈夫だよ、ひとりでも。家近いし」
「なに起きっか分かんねーだろ。五分だろうが十分だろうが関係ねえ」
「心配性だね」
「ハ、なんとでも」


誰にも懐かない犬を飼い慣らすことが出来ている、わたしだけに許されている優越感は気分がいい。けれど少しも色めかない。いつからか当たり前になってしまった。当たり前に与えられてきたもので、今なお与えられるものだから。

ようは可愛がられてる。蝶よ花よとだいじにだいじにされている。物足りないわけじゃない。ただ少し、学生時代がなつかしい。付き合い始めたばかりの時は、夏休み最終日まで溜めた課題さえ輝いていた。声を聴く、隣にすわる。たったそれだけで痛いほど胸が高鳴って、毎日そろそろ死ぬんじゃないかと思ってた。桜色のベールに包まれ息をしていたわたしはあの頃、ずっとずっときれいだった。



じゃあまたね。がんばってねヤオモモちゃん。またそのうち夜カフェで女子会でもしよう。皆と別れ、ヒールを鳴らす。色とりどりのネオンは星の代替品。明るかったはずの空はすっかり黒く塗りつぶされて、まるで大きな空洞みたい。ぽっかり世界に空いた穴。

吐いた息が白く染まって、たなびいた。


「ねえ勝己。さっきの話、聞いてた?」
「……どれだ」
「ヤオモモちゃんが許嫁と会ったって」
「ああ、興味ねえけど聞こえたわ」
「きれいだったね」
「は?」
「ヤオモモちゃん。可愛くて、きれいだった」


冷たい風が吹き抜けて、勝己の腕で暖をとる。パパラッチなんて気にしない。たとえスクープされたとしても、わたしたちは変わらない。だから勝己もいやがらない。

ゆるめられた歩調が優しい。わたしの肩を静かに抱く手があたたかい。ひと回り以上大きくて、皮膚が厚くてごつごつしてる。慰めようともしなければ、おまえの方がきれいだよ、なんて歯が浮く愛想もくれない温度は、けれどひどく穏やかだ。いつもわたしのためにある。いつもいつも痛いくらいにそう思わせて、だいじにだいじに愛する心を育てゆく。


「なまえ」
「ん?」
「来月、どっか行くか」
「ふたりで?」
「たりめえだろ。わざわざクソモブなんざ呼ぶかよ」
「そう……そうだね、そうだよね」
「休みの目処ついたら連絡する」
「うん。楽しみにしてる」
「ん」


わかってる。わかってるよ。可愛くなくてもきれいじゃなくても、勝己はわたしを傍におく。急いで結婚しなくても、わたしたちのゆびは互いのためにある。


title ユリ柩
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