12月31日の深夜、0時になると同時に、机の上に伏せておいたスマホが鳴った。年末恒例の歌番組が終わって、惰性で次の番組を見ていたときだった。手に取って画面を確認すると、幼馴染みの名前と応答と拒否のボタン。なんだか面倒事の予感がして一瞬だけ、私の指は画面の上をさまよった。でも”出なかったら余計面倒なことになる”とすぐに観念して、大人しく応答のボタンに触れる。
「あけましておめでとう。どうしたの、新年早々」
おそらく私史上最速で新年の挨拶を済ませると、電話口の向こうの幼馴染みは、私の挨拶に返事もしないで「初詣」と、たった一つの単語を口にしただけだった。
「初詣がなに? まさか、付き合えとか言うんじゃないよね?」
口ではそう言うものの、あの単語を聞いた時点でそういう意味だろうと思い至る。私は窓まで歩いて、カーテンの隙間から外を覗いて言った。近年の暖冬のせいか、まだ雪こそ降っていなかったものの、窓に顔を近づけただけで凍りついてしまいそうな寒さだった。
「付き合えって意味に決まってんだろ。5分後な」
それだけ言うと一方的に電話は切れた。”あの自己中男……!”私は0時2分を示す画面を睨みつけながら心の中で毒づく。ああ言うからには、私が諦めて付き合うと言うまで、玄関の呼び鈴を鳴らし続けるか、スマホに電話をかけまくってくるかのどちらかしかない。盛大にため息を吐いて、私はコートとマフラーとニットキャップ、それから手袋という防寒対策を講じるべくリビングを離れる。どこか遠くで、霞むように除夜の鐘の音が鳴っていた。
「おせえぞ! 何分待たせりゃ気が済むんだよ」
玄関から出るなり、もう家の前まで来ていた篤京は私を睨みつけて文句を言った。確かに、手袋を探すのに手間取ってしまい、彼の指定していた「5分」はゆうに過ぎている。その間、篤京が「呼び鈴もスマホも鳴らさずにただ待っていた」というのは奇跡としか言いようがない。
「ごめん、手袋見つかんなくて」
玄関の鍵を閉めていた私は、篤京に背中を向けて謝った。案の定「お前全然悪いと思ってねえだろ!」と怒りの声が飛んでくる。寒さのせいでいつもより沸点が低くなっているらしい。面倒くさいことこの上ないし、”だったら初詣なんて言い出すなよ”と、道路まで続く踏石の上を歩きながら恨めしく思った。私が門扉を後ろ手で閉めると、コートのポケットに両手を突っ込んだ篤京は何も言わずにスタスタと歩き出した。私も数歩遅れて着いていく。
除夜の鐘の音はまだ聞こえていて、私はなんとなく空を見上げてみる。冬の夜空は空気が澄んでいるからか、夏に見上げる夜空より星の輝きが一層増すように思えた。空を見上げながら歩いている間に、歩調を緩めた篤京は私と横並びになっていた。空を見上げたままの姿勢で目だけを横に向けると、篤京は真っ直ぐ前を見つめながら、マフラーに鼻まで埋めて何か考え事をしているような目で歩く。
「お願い事、何にするか決めた?」
夜空から視線を戻した私がそう訊くと、篤京は相変わらず前を向いたまま「いや」と答えた。そのまま無言で少し歩いたあと、篤京は私を見て「お前は決まってんのかよ」と訊いてきた。その声は、微かに張り詰めたような気配を帯びていて、自分がまだ何も決めていないことを棚に上げて、なんだか微笑ましく思ってしまう。
「私もまだ」
正直にそう答えると、「なんだよ」と少し脱力したような、それでいて安心したような声が返ってくる。
「篤京はさ、やっぱりテニスのこと?」
神社までの近道になる、狭い路地へ入っていく篤京の背中に問いかけた。
辛いリハビリをしてまで守り抜いた日本代表の座。その途方もない執念を思うと眩暈がする。篤京は子どものときから馬鹿みたいにプライドが高くて、そして、そのプライドに見合うくらい馬鹿みたいに努力家だった。なので当然、願い事は何かしらテニスに関することなんだろうと勝手に思い込んでいた。だから、篤京の口から「さあな」という言葉が返ってきたとき、私は思わず足を止めてしまった。着いてくる足音が聞こえないのに気づいた篤京は、顔だけで私を振り返る。足を止めると、身を捩るようにして身体も私の方へ向けた。
「テニスのこと神頼みにしてどうすんだよ。願って叶ってりゃ世話ねーだろ」
呆れたように言われて、私は自分の愚直な考えが恥ずかしくなった。それもそうか、あんなにプライドの高い幼馴染みが、例えテニスのことであろうと神様に縋るわけがない。私は「そうだよね」と苦笑を返す。篤京は鼻を鳴らすと、前に向き直って足を進めた。私もあとに着いて歩き出す。
路地を抜けると、すぐ左手に木々の間から鳥居が見えた。境内へと続く道を歩く人たちに混じって、私たちも並んで歩いて行く。参拝の列が見えたので、そのいちばん後ろに立ち止まった。
順番がくるまでに願い事を考えないといけない。私は、隣に立つ篤京をちらりと横目で伺ってから、真っ直ぐ前を向いて頭を回転させ始める。願いが込められた鈴の音は、冷えた夜の空気に絶え間なく響いていた。
なんの滞りもなく順番が巡ってきて参拝を終えた私たちは、来た道を黙って引き返している。
列に並んでいる間、お互いにずっと無言で、そのままの沈黙がいまもこうして続いていた。鳥居をくぐり抜け、また狭い路地を通って帰ろうかとその入り口に差し掛かったとき、不意に、私の前を歩いていた篤京がこっちを振り返った。
「お前さ、結局願い事なににしたんだよ?」
どことなく緊張が混じっているような声に、どうしてか私にまでそれが伝播してしまい、答える声が硬くなる。
「”願い事を口にしたら無効”とか、そういうんじゃないなら教えてもいいけど」
「そうじゃないことを祈っときな。で、なんなんだよ?」
私の願い。順番が回ってくるまで色々と考えた。自分のこと、家族のこと、将来のこと、夢のこと、そして……。
私は真っ直ぐに目の前の幼馴染みを見上げる。ずっと昔は身長もそんなに変わらなかったのに、いつの間にか追い抜かれて、同じくらいだった手のひらも、今は篤京の方がずっと大きい。こうなる間にどれだけ、泣いたり、笑い合ったりしただろう。どれだけ救われたんだろう。
「”篤京の願い事が叶いますように”って」
私が真っ直ぐに目を見上げながら呟くと、篤京はその切長の目を見開き、瞬く間に赤くなった顔を背けて、さっさと路地へと入って行ってしまう。心なしか歩く速度が早い。私は後ろを着いて歩きながら、その背中に向かって声をかけた。
「篤京は? 私ちゃんと言ったんだから、あんたも言ってよね」
しばらく黙って歩いて路地を抜けたあと、篤京は、もうどうにでもなれとでも言うように、足も止めず、私の方を振り向きもしないでぶっきらぼうに言葉を吐き出した。
「”今年もなまえと笑っていられますように”」
その言葉に、私の足が止まる。
私より数歩先で、篤京も足を止めた。
吐いた息が白く、目の前を流れて消えた。
篤京が振り返る。
長い髪が揺れた。
吐いた息が白い。
真っ直ぐに私を見つめる瞳。
その眼差しを一身に受けていると、色々な感情がない混ぜになって、私は無性に泣き出したくなってしまう。
篤京は、泣くまいと必死に唇を噛む私のそばへゆっくりと歩いてきた。一歩一歩、確かめるように。
「お前さあ、速攻で願い事と真逆のことしようとしてんじゃねーよ」
私のところまで歩いてきた篤京は、そう言って眉間に皺を寄せる。
なんとか努力をして、私はもう少しで溢れそうな涙を引っ込めた。確かに、たとえ嬉し泣きだろうと、新年早々誰かの泣き顔を見るのはあまり気分のいいことじゃないだろう。
「俺、実は去年も同じこと願ったんだよな」
篤京はそう言って少し微笑むと、私の頬にそっと手を添えてきた。
「去年も叶ったんだから、今年も叶うだろ」
「お前の分の願いもあるしな」そう呟いて、篤京は私に顔を寄せて額を合わせると、そのまま流れるように唇にキスをした。角度を変えて唇に触れ続ける熱に、身体がとろけてしまいそうになる。そうして繰り返されたキスのあと、私たちはまた額を合わせると、新しい年の訪れを祝うようにひっそりと笑い合った。