「ちょっと待て。わかるんだったら教えていきなさい」
ほらそこ。そう言って私が前の席を指差すと、東条は面倒くさそうにそっちを一瞥して、また私に視線を戻した。
「冗談だろ。俺、そんな義理ねえし」
「こないだ消しゴム貸してあげた」
「あれはジュース奢ってやったからチャラ」
「ルーズリーフ3枚あげた」
「お前が辞書忘れたとき貸してやった」
「ああ、くそ! わかったよもう。はいはい、じゃあ暗くなる前にとっとと帰んな」
しっし。と手で払う動作をして、私はまたシャープペンを握る。数学なんてこの世から消えてなくなればいいのに。私が腕組みをしながら問題用紙を睨みつけていると、東条が椅子を引いて前の席に腰掛けた。あれ、嫌だっつってたじゃん。
「シャーペン」
そう言って、東条は目の前に手を突き出す。私はその手の上に、さっきまで使っていたシャープペンを乗せた。そのペンを握って問題用紙を見た彼は同情したような声を上げる。
「うわ、エゲツな。あの先公こんなの出したのかよ」
「あ、やっぱこれ難しいんだ」
いつも数学のテスト80点以上の東条が、エゲツない。と言うくらいなのだから、きっとかなり難しい問題なんだろう。くそ、先生爆発しろ。
「なまえ、お前バカだからわかんねえだろ」
「あんたにバカと言われるのは不覚だが否定できない」
私は素直に頷いた。だってほんとうにわからないんだもの。こんな計算誰がなんの為に使うんだよ。その計算からなにが求められるわけ? なにを求めたいの?
「素直でよろしい。てか、まさかお前、今までずっと……」
「問題用紙と睨めっこだよ。北方は私を置き去りにして学部長のとこに行きやがった」
あいつは明日殴ろうと思う。視界に入り次第、殴ろうと思う。
「お前さあ、」
東条が呆れたように溜息を吐く。1問も解けてなかったから呆れたのかも。
「そんなバカ正直に問題解こうとすんなって。こんなの先公の嫌がらせに決まってんだろ」
「まじでか」
「いや、気付けよ。仕方ねえな、俺が解いてやるからちょっと待ってろ」
「え、やってくれるの?」
「お前に教えてたら日が暮れる」
「なあんだ、東条意外といいとこあるんじゃん。ありがとう!」
「なんか引っかかるなその言い方」
「じゃあ、ありがとうございます東条様。このご恩は一生忘れません」
そう言って、私は机に額がつくぐらい頭を下げた。
「腹立つ奴だなお前」
としかめっ面で言いつつも、東条はちゃんと問題を解き始めてくれた。いい奴じゃん。誰? イソギンチャク頭の露出狂とか言ったの。
放課後の教室にシャーペンを走らせる音が響く。問題用紙の上を、細い指が行ったり来たり。
「ねえ、東条」
「なんだよ」
問題を解いている東条は顔をあげない。問題を解く音が、2人だけの空間に反響していた。日はもう西に沈みかけていて、放課後の教室をオレンジ色に染め上げる。
「アイス食べて帰ろう。私、奢るから」
私がそう言ったら、東条は一瞬だけ顔をあげた。ふっと笑って、また問題を解き始める。
「2段な」
「うん。今日は特別」
今まで、誰にも2段アイスなんて奢ってあげたことないんだけど(むしろ奢ってあげたことがないんだけど)、問題解いてもらったんだし、そのくらいはしないとな。ってことで。