世界の中心でふたりぼっち

「あなた、最近いやに仕事が遅いじゃないですか」

まあ、前々からそうでしたが。アルファロ様は嫌味ったらしくそう付け加えた。ちょっと苛ついたけど、まさか口答えするほど馬鹿じゃない。ボクは黙って話を聴いている。こういうときに口を開くと、自分がなにを言い出すかわからない。
お前は言おうとしていることを一回頭の中で回せ。ずっと前、スターだか誰かに言われた言葉が頭を過った。うるさい。頭の中で舌を出して、その言葉を振り払う。
アルファロ様の説教もそろそろ終わりが見えそうだった。

「あまり長く傍に置いておくと、あなたも感化されますよ」
「はあ、ご忠告どーも」

そう返すと、アルファロ様は諦めたような溜息を吐いて部屋から出て行った。無理矢理説得しようとしないあたり、あのひと頭は悪くないなと思う。
てか、感化される? くだらない。ボクがあいつになにを感化されるって?
苛ついてテーブルを蹴り飛ばした。あいつが飾った花が花瓶ごと落ちて、嫌な音が響く。花びらが何枚か散ったのを見た。その音が聞こえたのか、なまえが部屋に入ってくる。

「あらら、また八つ当たり?」

なまえは横倒しになったテーブルと割れた花瓶を見て、顔をしかめる。

「やめてって言ってるのに」

そう言って溜息を吐いて、長いスカートの裾を引きずるみたいにボクの座っているソファまで歩いてきて、隣に腰掛けた。

「なにか嫌なことでも言われた?」
「別に」
「嘘。相変わらず、トミーは嘘吐くの下手だよね」
「うざい」

ボクがそう言ったら、なまえはくすっと笑った。それから、嫌なことでも思い出したみたいに眉間にしわを寄せる。一体なにを言い出すだろうと思ったら、それはアルファロ様の悪口で。

「さっき廊下ですれ違ったんだけど。あのひとさ、なんだか感じ悪いよね」
「それ、本人に言ってやれば?」
「そんなことしたら私、しんじゃうじゃん」

なまえはまたくすっと笑った。

「ま、そうだろね」
「ねえ、なに言われたの? お説教?」

ボクに顔を近づけて首を傾げる。その拍子に髪が揺れて、微かに煙草の匂いがした。ボクが嫌いだって知ってて吸うものだから、なまえは相当たちが悪い。思わず顔をしかめたのを見て、また笑う。

「ごめん。煙草、嫌いなのにね」
「知ってんなら吸うなっつうの。バカ」
「それが無理なんだって。もうビョーキだから」
「あっそ。じゃあサッサとしねば」
「あら、そんなこと言っちゃって。私がしんだら、トミー泣くんじゃない?」
「泣かないね。むしろ笑ってやるから安心しな」
「ひどいひとね」

なまえはよく笑う。ガキの頃は泣き虫だったくせに。ま、あんな状況の中で笑えってほうが無理か。思い出したくもない記憶が一瞬頭に浮かぶ。それを振り払うように小さく頭を振った。

「私のことでしょう?」

少しの沈黙のあと、なまえはゆっくりと口を開いた。さっきまでこっちを向いていた顔は、テーブルのほうに向けられている。

「私のことで、あなた、お説教されているのよね」
「なんでそう思うワケ?」
「そりゃあ、わかるよ。あのひとの態度を見れば」

そう言って、なまえは両足をソファの上に乗せて膝を抱えた。スカートの裾から、白い素足が見える。血を浴びたことのない白さ。今更、それをうらやましいとは思わないけれど。

「感化されるってさ、お前に」

なまえの髪に触れようと伸ばした手が止まる。
こうやって、殺す目的以外で誰かに触れようとすること自体が、もう感化されている証か?
空中で静止している自分の手を見つめた。真っ黒なマニキュアを塗った爪、その手が微かに震えている。誰かに叩かれたような勢いで手を引っ込めた。そして舌打ち。
少し目を見開いたなまえは、テーブルから視線を外して、またボクのほうを向いた。

「感化? あなたが私に感化されるって言うの」

なまえもボクと同じことを思ったらしい。口調が、馬鹿馬鹿しい。とでも言うみたいだった。

「あのひと、あなたのことなんにも知らないね」
「わかってほしくもないけどね」
「やだ。強がり」
「んなわけねーじゃん」

理解なんて求めたって無駄なだけ。自分の範疇を越えたことは理解しようとしないで拒絶すんだろ。くだらない。馬鹿馬鹿しい。こんなことしか考えられないボクも。さっき引っ込めた手を目の前に翳して、ぼんやりとそれを眺める。拒絶された事実を、一体いくつこの手でころしてきただろう。

「でも、私はトミーのこと知ってるって、自惚れても良い?」

ボクの髪を指で梳きながら、肩に頭を乗せてきたなまえは呟く。耳元で聞こえる、ちょっと掠れたような声が好きだった。

「勝手にすれば」
「うん。勝手にする」

うれしそうな声でそう言って、なまえはボクに抱きついてきた。



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