ああ、うるさいうるさい。今日もまだ、私の心臓は生きて、私の耳に届くくらいの声で鳴いている。ちょっと、静かにしてよ。折角の三津谷くんの声が聞こえない。不特定多数の誰かと話しているのと違う、私に、私だけの為に言葉を考えて、声に出してくれている。ああ、私の心臓はまだうるさい。
「それで、そこは……、なまえ?」
三津谷くんが、どうした? と、私のノートから顔をあげて、首を傾げる。私の手が、問題を解こうとしないのを怪訝に思ったからだと思う。心臓がうるさくて、なんて言えるはずもないから、ちょっとよく解らなくて、と嘘を吐く。そしたら、三津谷くんはふっと微笑んで、じゃあもう一回な、と、おそろしく解り易い説明を、また最初から始めてくれた。申し訳なく思う気持ちが半分、三津谷くんの声が聞けるうれしさが半分、私の頭のなかで争っていたけれど、彼の声が耳に届いた途端、申し訳なく思う気持ちがきれいになくなった。我ながら現金なやつだと思う。
「今度は大丈夫か?」
「うん、大丈夫、ありがとう」
私がお礼を言うと、どういたしまして、と笑ってくれる。それから、なにかに気付いたようにぱっと目を大きくすると、なまえ、と私の名前を呼んだ。心臓がうるさく鳴いている。
「なに、」
疑問符を付け忘れたまま声になってしまった、なに、を遮るようにして、向かいの椅子から立ち上がった三津谷くんは、男にしてはしなやかな腕を伸ばして、私の髪に触れる。その一瞬だけ、自分の心臓以外の音が聞こえなかった。一体、私の髪がなんだったと言うんだろう。
「綿毛。たぶん、蒲公英」
三津谷くんの親指と人差し指に挟まっているそれは、彼の言うように、確かに植物の綿毛らしかった。
「窓から入ったんだろ。少しだけ空いてたからな」
窓際に移動しながら、彼はきれいな声でそう言った。そして、窓から腕を出すと、親指と人差し指を離す。ちょうど風が吹いていて、綿毛はたちまち見えなくなった。今日はもう、終わりにしよう。窓の桟に手を置いて、顔だけをこっちに向けた三津谷くんはそう言った。私は頷いて、机の上に散乱する、ノートやら教科書、シャープペンなんかを、もとの場所に詰め込んだ。帰り支度の済んだ彼の、一緒に帰るか? というありがたい申し出を、嘘八百を並べて断って(だって緊張して無理)、また明日、と彼に手を振る。また明日な。そう言って笑って、三津谷くんは教室を出て行った。私の心臓は、まだ鳴き止まない。