リキア地方にあるフェレ侯爵領と、
 隣合う大陸東方の大国ベルン王国。
 その国境近くの山沿いに、
 小さな村がある。

 ロイ率いるあたし達フェレ軍は、
 エリウッドさんが雇ったという、
 傭兵団とこの村で合流する予定となっていた。

 その村から東にある山のすぐ向こうに、
 ベルン国境を守る城が姿を見せている。



「……ロイ、ウォルトが死にそう」
「なんで!?」


 ロイのツッコミが的確すぎてあたしは思わず苦笑いを零した。あたしの後ろにはラウロと、ラウロの馬に背負われたウォルトがいる。ウォルトは顔面蒼白といった表現がマッチするほどに顔色は良くなかった。
 この状態が起こった訳をあたしは知っている。あとできちんとロイに伝えておかなければ、多分いつかこの軍は壊滅するだろうな。
 はぁ、気が重い。重くもなる。この状態になったのは、他ならぬ──。


「リュナ様、何故ウォルトは倒れたのでしょうか……」


 あたしの臣下、ラウロのせいなのだから。当の本人は全くと言っていいほど気づいていないけれど。
 はぁ、と態とらしいため息をついても彼はやはり気づいていない様子だ。いつか、気づかせないとなぁ。


「ねえ、ラウロ。……ウォルトに何か食べさせた?」
「はい、いい加減料理も出来なくてはならないと思いましたので練習に自分の朝食を。それをウォルトに味見してもらいましたが……」
「……」


 原因はそれだ。それなんだ。伝えてもきっと彼は信じないだろうけど、いつか絶対気づかせないと、後悔する日が来る。
 もし、軍のご飯が当番制だとしたら。ラウロにその当番が回ってきたら。……考えるだけでおぞましい。


 武芸から美術までなんでもこなすラウロ、彼の唯一の欠点。それは、料理。

 美味しいものを美味しいと感じる味覚は備わっているようだけど、その逆──まずいものを不味いと感じる味覚が備わっていないのか、彼は極度の味音痴だ。
 舌が痺れる程苦い薬草を美味しいと言いながら頬張る程には味音痴だ。そのせいであたしは一度ぶっ倒れたことがあるのだけれど、本人はまさか自分の料理のせいで倒れたとは思っていないらしい。

 料理が下手、と自分でも言っているが、あれは少し意味合いが違う。ラウロからすれば「シェフのようにうまくは作れない」という意味だろう。
 ……だけど、あたしから見たラウロの料理ができない具合は「料理をしていたと思ったら毒薬ができていた」なんて訳のわからない領域にまで達している。
 何故気付かない。気づいて、ラウロ。気づかせるためにそっと、質問をする。


「ねぇ、ラウロ……ご飯になに入れた?」
「え? えぇと、確か……熊肉、馬鈴薯、人参、毒消し、玉ねぎ、ハーブ……」
「毒消しを有毒にする人なんて初めて見た……」


 思わずポロリと本音を落とす。いや、毒消しを料理に入れる人も初めて見たけれど。これで気づいてくれたかな、と一縷の望みにかけてラウロの顔を伺うけれど「有毒……?」と本当に気づいていない様子だ。
 ……ちゃんとロイに伝えないと、いつか死人が出る。そう心に決めてから、ラウロの馬に背負われたウォルトへ視線を向ける。やはり顔色は良くなくて、かなり心配になってきた。


「ウォルト、大丈──……」
「吐き、そ……」
「……ぶ、じゃなさそうだね」


 むしろこれで大丈夫だなんて言ったら殴って気絶させて休憩させていた。血の気の無い顔で言われても説得力なんてどこにもないし、ね。
 ウォルトごめんね、ごめんね。あとできちんと謝っておくけど取り敢えず、心の中で全力で謝罪をしておく。次からはラウロのこと見張っておかないとなぁ。
 どうやって見張ろう、そんな考えを張り巡らせているとマリナスがロイに声をかけていた。


「ロイ様。たしか、このあたりですぞ」
「雇ったという傭兵団と合流する場所?」


 ああ、もうそんなところまで来ていたのか。視線を移せば確かにここは村の入り口付近のようだった。
 決して栄えてはいないけれど、長閑で豊かな村。こういう村で暮らすのも楽しそうだな、なんて。
 生まれてから城暮らしが長かったし、旅の途中は村に長期滞在なんて出来なかったあたしがいうのは、おかしな話かもしれないけど。


「……ですが、まだ姿が見えませんな」
「約束の時間に遅れるなんてままあることだか──んぎゅっ!?」
「危な……遅かったか」


 本当にね! 何かに衝突されたような衝撃が背中に走って蹌踉(よろ)めく。あたしはなんとか倒れるようなことにはならなかったけれどじん、と背中が熱を帯びた。
 確かに痛かったけど骨が折れてるとかはなさそうだ。いったい誰が……と振り返ってみれば、白い服に身を包んだ茶色い髪の女性が尻餅をついていた。

 シスターだ。
 一応こう見えても祖国ではシスターから杖の使い方を学んでいた身だ、彼女が来ている服がシスターのものだというのは手に取るように分かった。
 シスターは慌てて立ち上がり、ぺこりとお辞儀をした。動作の一つ一つがきれいで、思わず見とれてしまう。


「す、すみません……。私、急いでいたせいで……その……」
「いえ、あたしは大丈夫。シスター、お怪我はありませんか?」
「あ……大丈夫です……。ありがとうございます」


 ぺこぺことお辞儀を繰り返す彼女に思わず苦笑いをしてしまう。あたしは大丈夫なんだから、そこまでしなくてもいいのに。
 ようやくシスターが顔を上げる。そしてロイの姿に気づいて表情を変えた。まるで、何か希望を見つけたような、そんな顔だ。


「あの……リキアの方……ですね?」


 頷きかけて思わず止まる。今は確かにあたしもリキアのフェレ軍としてここに置いてもらえているけど、元はリキアの人間ではないのでなんとなく憚られたから。
 ちら、とロイに視線を投げかける。あたしの言いたいことがわかったようで、ロイは一歩前へと出てシスターの目をまっすぐと見つめる。


「ええ。僕はこのフェレ領領主の息子、ロイです」


 その言葉を聞いた瞬間、シスターは跪き空を仰ぐ。そのまま手を組む姿は聖女そのものだ。
 何事だ、とぎょっとしたような顔をするマリナスを他所にシスターは神へ感謝の意を述べた。


「ああ…! 神様! 貴女の導きに感謝します!!」
「え?」
「へ?」


 意味がわからなかった。いや、分かるんだ。聖女が神の導きを感謝することはわかる。
 それはもう、祖国にいた頃から嫌という程教えられてきたから覚えている。

 分からないのはその行動の意味ではなく、リキアの人──ひいてはロイと出会えたことが何故神への感謝に繋がるのか。あたしはそれが理解できなかった。
 勿論それはロイも同じようで、きょとんとしたままシスターを見つめていた。


「どうか、私の……女主人を、助けてはいただけませんか?」
「女主人?」
「どうしたのですか?」


 驚いた。勝手な思い込みだけど、シスターが仕えるのは神様にのみだと思っていた。けれど彼女はそうではないらしい。
 もしかしたら神格化された誰かなんだろうか。そんなことを頭の片隅に置きながら、彼女の話に耳を傾ける。


「私の女主人はリキア諸侯同盟の方にお会いするため、ここまで参りました。
 ですが……近くの城主ルードのワナに落ち、捕まってしまったのです」


 ルードって? 疑問に眉を顰めると後ろからラウロが「ベルンの者です」とだけ答えてくれた。成る程、ベルンの──ベルン?
 待って、ベルンって戦争をしている国じゃないか。つまり彼女の女主人を助けるということは。


「ロ、ロイ様! いけませんぞ。
 ここでベルンと無用な戦いをするのは得策とはいえませんぞ!」


 ……要らない戦いをベルンに仕掛けることになる、ということだ。
 正直、この人の女主人のことは気がかりだ。だけどここで戦って消耗して、おまけに目をつけられたりなんかしたらどうすればいいかわからない。一番いい方法は戦わずに女主人を助けるということなのだろうけれど、それができる相手とは到底思えないのが現実だ。
 どうしよう、とロイを見てみれば彼も悩んでいたようで。


「確かにリキア諸侯に会いに来た方を見捨てるわけにはいかない。でも迂闊に動くのも……」


 彼女がどんな思いでここまで来たのか。それを考えると無下にはできない。
 きっと藁にもすがる思いでここまできて、ようやく会えたロイの存在に希望を見出して。
 そんな彼女を見捨ててしまえば、彼女はどれだけ深い絶望に落とされるのだろう。──絶望なんて、あたしの望む世界にはいらないのに。
 悩み続けるあたしとロイ。そんなあたしたちの思考を切ったのは、ラウロの言葉だった。


「お悩みの最中失礼します。……前方からベルン軍が」
「……!」


 ラウロの言葉にハッとし、言われた通りに前を向けば、赤い鎧を着た兵士達がいた。彼らは武装していて、戦闘を行おうとすればいつでも行える状態だろう。
 思わず、身構える。腰にかけた細剣に手をかけて、逆の手では魔道書を用意して。何があってもロイやシスターを守れるようにと、神経を研ぎ澄ませた。


「いたぞ! あそこだ!!」
「なにがあっても女を取りもどせ! 生死は問わぬとのお達しだ!」


 生死は問わぬ。その言葉に過剰反応してしまうあたしがいるような気がした。
 落ち着け、まだ何もするな。自分自身に言い聞かせながら深呼吸する。

 シスターの命は、シスターのものだ。あたしの命は、あたしのものだ。ロイの命はロイの、ラウロの命はラウロの。
 他人が勝手に奪っていい命なんてこの世にはない。あるとすればそれはそれ相応の対価としてだろう。それが正しいことかどうかは、わからないけれど。

 シスターは死が目前に迫り絶望したような顔をする。当然だ、自分の命を狙っている奴らが近くまで来ているのだから。
 ……あたしにも、あの感情は理解できる。怖い。ただそれだけだ。


「ああ……」
「……マリナス、むこうから仕掛けてきたんだ。ならば受けてたつのは仕方ないよね?」
「! ロイ……」


 ロイの言葉にハッとする。彼の目はまっすぐと前を見ていて、そこに迷いはもうなかった。


「……やれやれ。ダメじゃと言っても聞いては下さらんのでしょう?
 オスティアでどれくらい成長されたか見せていただくとしますかな」


 ああ、戦争が。


「よし! ベルン国境の城を目指して攻めあがるぞ!!
 シスター! あなたは安全なところへ………」
「いえ、私もお連れください。
 戦うことはできませんが、傷ついた方をお救いすることはできます」
「え、ですが……」
「突然やってきて勝手なお願いをしている身。せめて少しでも、お役に立たせてください」
「わかりました。そのかわり絶対に無理はしないでください」

「はい。お心づかい感謝します」


 戦争が。リキアで、始まる。
 浮世離れしたようなその現実に、あたしはただ黙って剣を握ることしかできなかった。

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Dear, My Doll.