「……貴公がフェレ公のご子息であったか。今での失礼、どうかお許し願いたい」
「……フェレ?」


 勉学を怠ったつもりはないけれど、どうしてもその単語が脳内の辞書には引っかからなかった。
 動物、植物、事象。どれにも当てはまらないその言葉に再び疑問符を浮かべて、ラウロの顔を見上げてみる。が、ラウロは赤髪の少年をじっと見つめているので答えは返ってきそうにもない。
 弱ったなぁ、何もわからないまま話すのも気持ち悪い。アーシュなら、何か知っているのかもしれない、と背後を見てみれば……いない。
 いつの間にか消えていたという事実に少しだけ眉を顰めて、もう一度きちんと前を見た。もし今度会えたら、聞かなきゃならないことがたくさんあるけれど、今はそんなこと言ってる場合じゃない。


「あなたたちは?」


 目の前の赤髪くん……ロイくんは極めて優しい声でそう問うた。そういえば、まだ名乗ってなかった。
 この旅の途中、自ら名乗ることは殆ど無かった。というのも、レストーネ大陸内で自らの名前を明かしてしまえば、間違いなく身分がばれてしまうからだ。ギラナー国王が暗殺を企てた第一子が近隣にいるだなんて、間違いなく大混乱を招くだろうし……。
 ここではそんな心配もないかな、とあたしは──と紡いだところで、ラウロの手があたしの声を止めるように見せられる。ダメか。
 助けてもらったのに申し訳ないなぁ、と思っていると、ラウロがロイくんと話を続ける。


「……これをエリウッド卿にお見せください。そうすれば我々の身分も明かされるかと」


 そう言いながら見せたのはラウロがいつも使っている剣だった。それは、騎士受勲の時にあたしからラウロに手渡した、王家の紋章が刻まれた剣。ラウロがあたしの臣下たる、証。
 その紋章、この国で見せても通じるのかしら。なんて、微妙な疑問を持ちながらラウロの背中を見つめる。いつも見ている背中だけれど、相変わらず頼もしい。


「……口に出したくはないんですね?」
「不躾だということは重々承知しております。が、先の山賊などに身分を知られては危険が及んでしまう」


 ああ、ロイくんではなく、この辺りに潜むかもしれない別の山賊共を危惧しているのか。一人で勝手に納得しながら、ラウロの言葉を飲み込んだ。
 しかしやはり、それだけでは不躾すぎると踏んだらしいラウロが、あたしのことを手招いて。横に並んでから、ラウロが再び口を開いた。


「取り敢えず名前だけでも。俺はラウロと申します。以後、お見知り置きを」
「あ、あたしはリュナ、です。その、先程はありがとうございました」
「気にしないでください。それと、敬語は不要です、リュナさん。異国の地より来られたとお見受けしますし、そのような方々に無理はして欲しくないですから」
「え、あ、うー、じゃあロイくんも、敬語なしでお願い、同年代の人に敬語使われるの、未だに慣れなくて……、その、リュナって呼んでもらえると嬉しい」
「……うん、分かったよリュナ。僕のことも、ロイって呼んでくれるかな」
「わ、わかった、ロイく、ロイ!」


 なんでこんなに緊張してるんだろうってくらいに緊張してしまってる。多分、相手がそれなりの身分だからだろうけれど。
 もちろん向こうでも身分が高い人と関わらなかったわけじゃない。というより、身分の高い人と関わることが常だったけれど、向こうで関わった身分の高い人は、私の立場を理解していた人ばかりだったから。

 でも、そうじゃない。ロイくん、……じゃない、ロイはあたしの身分を知らないまま、あたしが砕けた態度で接することを許してくれた。そのせいで余計に緊張している、んだと思う。

 ラウロの警戒は未だに解けない。注意深いのはいいけれど、なんというか、本当に臣下然としているなぁ、なんてのんびり考える。いつでも剣を抜きそうなその姿に思わず苦笑いを零しながら、ロイの後ろについていくことにした。



────────



 聞いた話だ。
 ここ、エレブ大陸リキア諸侯というのは複数の領主が手を結び、国のような状態で政を行っている。
 そしてロイは、そこの一領主フェレ候の嫡子だということ。つまり、次にフェレ候となるのはロイだということで。


「此処だよ」


 導かれて、やってきたのはこの地を治めているという領主の家……というよりも、城。……いやまぁ、予想していなかったわけじゃないし、貴族の住処ならば城でもおかしくない。
 おかしくはないけれど、あたしが想像していたよりも遥かに大きくて開いた口がふさがらない。
 その、なんていうか、……昔ラウロが住んでいたお屋敷くらい大きいなぁ、なんて。今はもう、全焼しちゃって残っていないけれど。
 はあぁ、すごいなぁ、なんて思っていると、門の中からぱたぱたとかけてくる少年の影。


「ロイ様っ! また勝手に……!」
「ご、ごめんウォルト」


 鮮やかな黄緑の髪を持つ彼は随分とロイのことを探していたようで、ぜいぜいと肩で息をしていた。
 ……まぁ、うん、そうだよね、自分の主人が急に城からいなくなったら誰だってそうするだろう。
 と、ラウロに視線を移してみればどうしましたか、と視線を返された。ラウロもだろうなぁ、なんて考えながら何もないよ、と返しておく。


「ロイ様が出ていかれては、僕が後でマーカス殿に何を言われるか……」
「あはは……ごめん。外が煩くてね、出てみたら山賊が彼等を襲ってて」
「え?」


 間の抜けた声とともに彼の視線があたしたちに向けられる。ぱちくりと何度か瞬きを繰り返した後、彼は弾かれたように姿勢を正し直して、綺麗な一礼。お見事、と言いたくなるがぐっとこらえておいた。


「ようこそいらっしゃいました。僕はウォルト、と申します」
「ウォルトは僕と兄弟同然に育ってきたんだ。だからリュナ、……僕が言うのもおかしな話かも知れないけれど、遠慮はいらないからね」
「うん、ええっと……よろしくねウォルト。あたしはリュナ、隣のレストーネ大陸から来たの。……ここでは平民同然だから、その、敬語は止めてくれると嬉しい、かな」


 口に出して改めて思うのもおかしな話かもしれないけれど、そうだ、あたしこの地では平民と同じなんだ。王家だなんて言い分、通用しないのかもしれない。
 旅をはじめた頃からこの肩書きに頼ることはほとんどなかったけれど、いざ使えないとなると不安になる。やっていける、かな。


「……いい、の?」
「う、ん。その、さっきロイにも言ったけれど、同年代の人に敬語使われるの、苦手で。……どうしても慣れないから」
「うん、分かった、なら僕も普通に接させてもらうね、よろしくリュナちゃん」


 にへっと表情を崩したウォルトはあたしに歩み寄ろうとするものの──ラウロがそれを阻む。
 え、と小さく声を上げたウォルトだったけれど、それを歯牙にかける様子すらなくラウロがあたしを見ていった。


「リュナ様、まずは此方の領主に挨拶にいかなければなりません。呑気にお話をしている場合ではないかと」
「それもそう……ね」


 はあぁ、小さなため息とともに突っかかったものも一緒に吐き出した。
 と、そんな場合じゃない。それよりも、やるべきことがある。フェレ候に挨拶をしないと。
 どこにいるの? という視線をロイに投げかけた瞬間、背後からこつりこつりと響く足音。


「どうかしたのかい、随分と騒がしいようだが」
「!」


 振り返るとそこにいたのはロイとよく似た髪の毛を持つおじ様。顔立ちもロイによく似ていて、このお方がロイの父上だということは一目でわかった。
 少し皺の刻まれた顔には、あたしの父上とは違う優しい威厳が見て取れる。暖かな雰囲気に、なんだか懐かしさを覚えてしまう。


「お客人かい」
「お初にお目にかか……ではありせんね、お久しぶりですエリウッド卿」


 あたしにするときと同じように、見事なまでのお辞儀を見せるラウロ。……否、そんなのはどうでもいいや。大事なのは、そこじゃなくて。
 お初にお目にかかるわけじゃない? お久しぶりです?
 ということは、ラウロはかつてエリウッド卿に会ったことがあるということになる。
 ……いつ? 騎士受勲の前のことはよくわからないけれど、それ以後ならば、あたしのそばに常にラウロはいたはず、だ。
 だとすると、あたしは……?


「君は……」
「覚えていらっしゃらなくても無理はありません。何せ八年前のことですから。俺もリュナももっと小さかったですし、外にいるように言われましたから、エリウッド卿の記憶に残らぬも当然かと。
 ……これでお分かりいただければ嬉しいのですが」


 言いながら、ラウロは剣を鞘ごとエリウッド卿へ手渡す。というより、あたし八年前にこのお方と会っていたんだ。覚えた懐かしさは、きっとそういうことだろう。
 これは? と聞きたげなエリウッド卿だったけど──刻まれた王家の紋章を見た途端に、エリウッド卿の顔つきが変わった。
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Dear, My Doll.