「……この紋章、まさかファヴァー王家のものか!?」
「……え」


 ファヴァー王家の紋章が通じたことよりも何よりも、明らかに顔色を変えたエリウッド卿に困惑する。
 いやまあ、それが普通の反応なのかもしれない。他大陸とはいえ、王族の人間が一貴族の家を訪問したとなると……、……確かに私がエリウッド卿の立場だと同じ反応を返していたかもしれない。
 少しだけ申し訳ない気持ちになるけれど、来てしまったものは仕方がない。エリウッド卿にはあとで謝るとして、今は目の前のことに集中しよう。


「ということは、そこのご令嬢はリュナ王女か?」
「……はい、その……信じがたいとは思いますが、ファヴァー王国ギラナー国王が第一子……リュナ・ファノヴァールです」


 エリウッド卿の目があたしに向けられる。もう隠す必要はないだろう、とあたしは自らの身分と名前をすべて明かす。
 視界の端で揺れるロイの表情は驚きに染まっていた。うん、ごめんね、でもほら……賊に知られるとまずいっていうラウロの言い分もわかるから、素直に従ったわけで。身振り手振りでごめんね、と謝ると彼はぶんぶんと首を横に振った。
 そんなあたしたちのことは知らず、エリウッド卿は話を続ける。


「リュナ様……立派になられましたね。あの頃とはずいぶん変わられて……一目ではわかりませんでした」
「え、……あ、……んん、まさかあれより前の話か」
「? ……どうかなされましたか?」
「いえ、なんでも」


 ……あたしはある時を境に、記憶があいまいになっている時期がある。具体的にいうとすれば、五年より前のことは覚えていないことの方が多い。
 ただ忘れているとか、そんなレベルの話ではなく、元々体験なんてしなかったかのように――、完全に記憶に残っていないのだ。流石にラウロとの出会いやラウロの家が燃えた事件は、覚えているけど。
 ……記憶が残っている五年前以後とそれ以前では、私自身に決定的な差があるわけだが……そのことは関係ない、と思いたい。


「……驚いた。リュナ、王族の人間だったんだね」
「うーん、といっても、……今は王族を名乗っていいのかもわかんないけど……」
「え?」


 どうして? と言いたげにロイが小首を傾げる。言っていいのかな、とラウロを見上げれば彼は小さくこくりと頷いた。あたしが言うのもおかしな話かも知れないけれど、彼は相当フェレ候のことを信用しているらしい。

 すーはー、すーはー。息を整えてから口を開こうとすると、手が震えた。
 脳裏を過るのは1年前の記憶。狂気に彩られた父上の赤い目が、あたしを捉える。どこかで見たようなその色に、ぶるりと肩を震わせた。すぅ、はぁ。


「……あたし、父上に殺されかけたの」
「……!?」


 空気が変わった。それまで和やかだったその場の空気は一変し、動揺の色が走る。予想通りの反応が返ってきて、ある意味安堵した。これで「そんなの普通じゃないか」なんて反応が返ってきたら、それこそどうしたらいいかわからない。
 ロイとウォルトはあたしに何を言うべきかわからないらしく、視線をあたしに貼り付けたまま何かを言うことはなかった。エリウッド卿はと言うと、二人とは違って落ち着いて──しかしやはり驚いた様子は隠さずに、口を開く。


「……ギラナー国王が、リュナ王女を? いったい、なぜ……」
「あたしにも、わからないんです。わからないけれど、父上は確かにあたしを殺そうとした。それだけは、確かです」


 操られていた、という可能性も考えたけれど、その可能性は低いだろう。父上は誰よりも警戒心が強く、そのような可能性は片端から排除していく。自らの側に置いた家臣は優秀なものばかりで、必ず裏切らないと確信したものだけ。そんな父上を操ることが出来るとしたら、……それこそ大問題だけれど。
 それに何より、父上は狂気に囚われていたけれど、確かに正気だった。確かにあたしの名前を呼んで、確かにあたしを殺そうとしていた。それだけは、目の前で父上の姿を見たあたしが、確信を持って言う。
 だからこそ、わからなかった。何故父上が、あたしを殺そうとしたのか。


「……」


 思い沈黙が、あたしたちの空気を這う。これを言ったのは失敗だっただろうか。でも、隠していたっていいことはない。もし隠していて、それが原因で何かよからぬことになってしまったとすれば、それこそ面倒だ。
 ……しかしまぁ、初対面の相手にするような話じゃあなかったんだろう。この沈黙が何よりの証拠だ。どうしよう、と迷っている合間に口を開いたのは、エリウッド卿だった。


「……災難でしたね、リュナ王女……」
「1年も前の話です。……大変だったかなんて、忘れてしまいました」


 嘘はついていない。
 確かに、大変だったんだとは思う。だけど生きることに必死で、逃げることに必死で、それでもラウロはあたしがこの旅を投げ出してしまわないようにと尽力して。大変さを感じる暇なんてどこにもなかった。
 普通はこんな旅、しないんだろうなぁ。なんてそんなことを考えていたら、再びエリウッド卿の口が開かれた。


「リュナ王女、そしてラウロ殿。これから先、行く宛は?」
「特にはありません。祖国に戻るための準備を整えられる場所を探すつもりではありますが……」
「それならここで暮らすといい。苦労はかけさせないつもりです」
「……え?」


 思わず間の抜けた声を出してしまう。それ程驚いてしまって、多分はたから見ればあたしは今とんでもない間抜け面をしているのだろう。そしてそれはあたしだけじゃなく、ラウロも、そしてその場にいたロイやウォルトも同じようだった。
 そんなあたしたちのことを知ってか知らずか、エリウッド卿は続ける。


「レストーネ大陸に戻るわけにはいかない、しかしかと言ってエレブ大陸を旅するにも金銭に問題がある、それに人目につくところにリュナ王女を旅させるのはあまりにも危険すぎる。私はそう考えます。
 ここならば衣食住は私から提供させていただけますし、リュナ王女の身の安全も確保できると考えた次第です」
「そ、そんな、迷惑かけられません、あたしたちがここにいたら、エリウッド卿に何が起こるか……」


 聡明な父上のことだ、きっといつかあたしの居場所を突き止める。そうすればまた、あたしを殺すための追っ手を遣わせるだろう。そんなところにエリウッド卿がいたとしたら、エリウッド卿が危ない。
 あたしの問題で、誰かが傷つくのは堪らなく嫌だった。しかし、エリウッド卿は引き下がらない。


「迷惑だなんて思いません。……それに、実を言いますと、一ヶ月後ロイはここを発ち留学へ行くので、寂しくなるのです」
「留学?」


 留学、留学。よその土地や外国に行って、ある程度長い期間勉強をすることを言う。
 あたしの旅は逃亡を目的としているけど、留学はそういうのじゃない。あたしと歳変わらないのに、偉いなぁ。いや、そういう場合じゃないんだけど。


「留学っていってもリキア諸侯内だけどね。
 リキア諸侯を治めてらっしゃるオスティア候ヘクトルさまの元で学ぶんだ」
「……?」


 聞きなれない単語に再び疑問符。だけどここで聞いても話が前進しないのは目に見えていたから、敢えて何も言わなかった。後でもう一度、聞いておこう。
 ロイ、しっかりしているなぁ。あたしは多分、もし今旅をしていなかったとしたら、留学だなんて絶対に考えない。元々勉学はそこまで得意じゃないし、ね。
 あたしが上の空でそんなことを考えていても、ラウロはきちんと話を進めていた、そんな時だった。


「ですが宜しいのでしょうか。ファヴァー王家は貴殿等となんの接点も持ちませんが……」
「お取り込み中失礼します」


 聞きなれない声に視線を移す。そこにいたのは若草色の髪を持つ騎士だった。
 妙なタイミングでの第三者介入のせいか、嫌な予感がする。当たらないでほしいなぁ、なんて考えるけれど、予感というものは当たって欲しくないものほど当たるものだ。


「ランス、どうした」
「……山賊が村の女性を人質に取り、多額の金を要求しております。金を払わなければ女を殺す、と」
「何?」


 物騒な言葉の羅列に眉を顰める。ああ、何でこんな予感だけ当たっちゃうのかな。頭を抱えそうになるもなんとか堪える。
 山賊っていうのは、さっきのやつらだろうか。痛めつけておけば、こんなことにはならなかったんだろうか。うぅん、と口の中で唸れば、突然脳内にあたしにしか聞こえない声がする。


《また、面倒な奴らがいたもんだなァ》


 ……確かにね、と声にはしない同意を心の中で。誰にも伝わらないし伝えるつもりもないその言葉は、あたしの体内に吸収されて消えていく。
 それきりその声は聞こえなくなったけれど、ああ、本当に気まぐれなやつ。


「……ランス、金額はどうなっている?」
「200万G(ゴールド)です。何度か値を下げる要求も試みましたが、聞く耳を持ちません」
「な、」


 昔のあたしならなんとも思わない数字だったかもしれないが、今のあたしは違う。
 この旅の最中、何度もお金に困ることはあった。100G稼ぐことがどれだけ大変かということを知った。そんなあたしからすれば、200万Gというのが途方も無い数字に思えて仕方がない。


「……いかがいたしましょうエリウッド卿、此処で出してしまえば山賊がつけあがります」
「……民の命には変えられん」


 ……そうだ。200万Gという金と、民一人の命。どちらが大切かなんていうのは、明白だ。
 明白だが、一度それを許してしまうときっと奴らは何度もそれを繰り返すことになるだろう。何度も、民を命の危険にさらすこととなるのだ。そんなこと、許されるはずがない。


「……あの、エリウッド卿」
「どうかしましたか、リュナ王女」
「その件、あたしに任せていただけませんか?」
「……といいますと?」


 応えず、その代わりにラウロを見る。あたしの視線を受け取ったラウロは一瞬だけ目を見開いて、一度考え込むそぶりを見せた。
 やがてひとつ、大きなため息。


「……正気ですか?」
「狂気の沙汰かも。……で、ラウロはついてきてくれる?」


 また一つ、大きなため息。でも結局、なんだかんだ言ったとしても。


「……あなたを守るのが、俺の役目ですから」


 あたしに甘いのが、ラウロの悪いところだ。

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Dear, My Doll.