
「……目が痛い」
四時間ぶっ続けて読書は無理があったみたいだ。じんじんとした痛みを紛らわすように眉間を指で押さえた。
ここに来てから書物を読みふけることが多くなって、比例するように目の奥を痛めることも多くなった。何度もラウロにやめろと言われているけれど、やめれないあたしはバカなのだろうか。
あたしがエレブ大陸に来て一年が経った。エリウッド卿の屋敷に居候して一年が経った、とも言える。ロイはオスティアにいるからたまに文通をしているくらいで、顔をあわせることはないけれど。
この一年で随分とこの地に詳しくなった。エレブの歴史も、今も、頭に叩き込んだ。……つもりだ。
大陸エレブ。
ここには天敵をもたぬ『人』が広がり、
いくつもの文化を築きあげていた。
まず、西に大陸一華やかで
高度な文化をほこる『エトルリア王国』。
東に派手さはないが堅実な文化と
質実剛健な気風をよしとする『ベルン王国』。
この二つの王国が中心となり
それに挟まれるかたちで小勢力が続く。
複数の領主たちが手を結び
二代王国に対する『リキア同盟』。
あたしが滞在するのはここね。ここの、エリウッド卿が治めているフェレ領。
それ以外にももちろん、小勢力はある。
民と共に荒地を切り開く
『イリア』地方の諸騎士団。
広大な草原を馬でかけめぐる
『サカ』地方の諸部族。
それらの力のバランスにより
小さな争いこそあれ
全体としては安定を保ってきた。
……というのがこのエレブ大陸。あたしの記憶が間違いでなければ、だけど。
エレブのことは覚えた。
けどレストーネのことを忘れていないか、と言われると……少し怪しい。また復習しておかないと、ラウロに怒られるなぁ。
……そういえば、ラウロは? いつもなら一時間おきくらいにお茶を持ってきたりするのに、今日はそれがない。珍しいこともあるもんだ、なんて少し不思議に思っていると、扉が開いた。
ラウロ? と思ったけれど、赤い色が見えたので違うらしい。思わず姿勢を正した。
「やはりここにいらっしゃいましたか、リュナ王女」
「エリウッド卿……」
リキア東部の領土、フェレ周辺の領主たるフェレ候エリウッド卿。今は病に伏せているが、昔はとても強いお方だったと聞く。一年前からずっとお世話になっているけれど、あたしの敬語もエリウッド卿の敬語も無くならない。……あたしに敬語はいらないって言ってるのになぁ。
エリウッド卿の顔を見つめる。病に伏しているエリウッド卿の顔色は悪いのだけれど、それ以上に表情が優れないのが気になった。
「どうかしたのですか? エリウッド卿……」
「そうしたいのですが、……そうもいかなくなりました」
緊急事態ですか、と視線で訴えればエリウッド卿は苦虫を潰したような顔をする。
どうしたんだろう? そこまで思考を張り巡らせて気づく。
……外が、騒がしい。
「ポルム山の賊が、この城を狙っていまして。……ベルンが攻めてきたことによりここが手薄になっていることと、私が病に倒れていることを知ってやってきたのでしょう。
……もうじきここも戦場になるでしょう。その前にリュナ王女、どうか貴女は安全な場所へ──」
「……」
……東の大国『ベルン王国』。
国王ゼフィールの命の下、各地へと侵攻を開始した。
サカやイリアといった地方は既にベルンが制圧し、反抗するものは悉く切り捨てる、そんな噂も聞いていたことには聞いていたけれど、……あまり実感はなかった。
それでもベルン王国がリキアに攻め入っているのは事実だし、それでこの辺りの警備が手薄になっているのも本当だ。賊の存在を示されて、あたしは漸くベルン王国に攻め込まれている実感を抱いた。
……戦争、か。
大きなため息をつけば、エリウッド卿が申し訳なさそうに表情を曇らせる。
エリウッド卿は何も悪くないのに、と言葉をかけようとして顔をあげれば、彼の後ろに青い髪が揺れたのを見つけた。きょとんとそれを見つめてみると、出てきたのは長い髪を持った女の子だ。……こんな子、ここにいたっけ?
「貴女は?」
「オスティアのリリーナ。ロイの幼馴染みです」
オスティア? ……ああ、オスティア。
ロイの留学先の名前を聞いて慌てて立ち上がる。オスティアの、ということは、オスティア侯爵のご令嬢というわけで。
……というか、あたしもあたしだ! 名を尋ねる時は自分から、を忘れていた!
「初めましてリリーナさん、あたしはリュナ・ファノヴァール……どうかリュナとお呼びください」
「ロイからある程度話は聞いています。その……何も知らない私が言うのもおかしな話だとは思いますが、大変でしたね、リュナさん」
「もう諦めていますけれど、ね。……あ、出来れば敬語使わないでいただけると有難いです。今のあたしは、そんな立場の人間じゃありませんから……」
もうあたしは姫でもなんでもない。祖国を捨てて逃げた、ただの逃亡者。ラウロはそれに付き合ってくれてるだけの、……。
……ああ、思い返していると虚しくなってきた。曖昧に笑って濁せば、リリーナさんもあたしに笑い返す。
「あ、じゃあ……じゃあ、リュナも敬語は使わなくていいわ。
ほら、わたし、同年代の女の子の友達って少なくて、そういうの、とても憧れるから……」
「……リリーナ」
「だから、ね?」
「……うん」
彼女なりの気遣いなのだろう。そんなことはわかっていたけれど、どうしようもないくらいに嬉しくて思わずはにかんでしまう。
……が、そういう場合じゃないのを思い出してエリウッド卿をもう一度見てみる。やはり、体調は優れなさそうだ。
どうしよう、そんなことを考えているとバタバタと足音が聞こえてきた。
「エリウッド様、大変です! ポルム山の賊どもがすぐそこまで……」
叫び声が聞こえたかと思うと現れたのは禿……じゃなくて、誰だったっけ? えーっと、…そう、マリナスだ。
マリナスは普段からうるさいし心配性だけれど、ここまで慌てふためくことはあまりない。そんな状態から察するに、だいぶ不味い状態なのだろう。……どうしたものか。
「そうか……。
くっ、私がこのような体でなかったら好きにさせぬものを……、ッごほっ、ごほっ!」
「おじさま……」
「エリウッド卿、どうかご無理はなさらず」
リキア一の騎士エリウッド卿。
その勇姿を見ることはおそらく今後ないのだろう。彼の言う通り、病でなければこの状況も変わっていたのかもしれないけど。
……たらればを言っていても仕方がない。なら、あたしがすることは、ひとつ。
「リュナ女王、それにリリーナ。貴女達は隠れていなさい。もうすぐここも戦場になる」
予想通りの言葉に思わず苦笑いをこぼす。何がおかしいのか、と言いたげな顔であたしを見るエリウッド卿から視線を外し、一度きつく拳を握った。
争いごとは好きじゃないけど、何もせずにみんなが苦しむのも好きじゃない。この城で、エリウッド卿の言葉無くして動けるのは、あたしと──。
「ラウロ、いるのでしょう」
「あなた様が呼べば、いつでも」
エリウッド卿の更に後ろから聞こえてきたのは聞き慣れた声。
いつの間に、と言いたげなエリウッド卿、リリーナ、それにマリナスの顔は見ものだったけれど、今はそれどころじゃないな。あたしが何を言うのか既に察したような顔をしているラウロは、いつも通り頼りになるものだった。
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